38.FK初の丸山曲『キャンプファイヤー』、ラフで深い『行け行けじゅんちゃん』

――アルバム2曲目の『キャンプファイヤー』はどんな経緯で?

 丸山さんが作ってきた曲がもとになっています。丸山さんが他でやってるバンドに書いたオリジナルを聴いて、「いい曲いっぱいあるなー」と思ってましたけど、FLYING KIDSに持ってきたのは、この曲が初めてだったんじゃないかな。メロディはちょっと曖昧だったのかな。でも丸山さんのコード進行が持つ“不思議な穏やかさ”みたいなものに呼ばれたのか、すぐに“キャンプファイヤー”というモチーフが浮かんできたんですよ。“キャンプファイヤー”って“永遠の青春の1ぺージ”という感じがして妙に郷愁をそそりますよね。だから歌にできそうな気がして、すぐにみんなにそう伝えました。曲を聞いた直後くらいだったから、メンバーは最初ちょっとびっくりしてましたけど、「それはいいね」とすんなり賛同してくれた。その頃には「浜崎、なかなかやるなあ」みたいな空気になっていて、僕が考えた方向性をすんなり受け入れてくれるようになっていたんだと思います。コード進行も独特だし、使われている旋律もちょっと厄介なんですけど、それをうまく日本語の歌にできたこと、なおかつそこに“郷愁”をプラスできたことは僕らにとってはひとつの発明だったし、「自分たちがやってることは間違いないぞ!」という自信になったと思います。

〔ミンナウキウキ ヨロレイヒー〕っていうところが、ちょっと新しいですよね。冒頭の〔笑ってるけど目だけは悲しんで〕も、すごい歌詞だと自分で思う。もしかしたらこの頃の俺が、一番キレキレだったのかもしれない(笑)。

――3曲目は『行け行けじゅんちゃん』。〔続いてゆくのかな〕、〔行け行け〕、〔やだやだ〕が繰り返されるだけの曲です。浜崎さんは「メロディのあるやつを歌うんだよ」と曲終わりに叫んでいます。

そうでしたね。ディレクターに「まだアルバムの曲が足りない、もっと作らなきゃ」と言われて作った曲のひとつです。飯野さんが作ってきたモチーフをもとに、前後のメロディをセッションしながら作っていこうとしたんだけどなかなかうまく行かず・・。それで「このままでもかっこいいんじゃないの?」という話になったんですよね。「じゃあ録音しながら1回セッションしてみよう」と録った音源をそのまま収録しました。録音していることを意識しながらも、「これは練習だよ」という雰囲気ですよね。そういうラフな作品を世に出すことで、FLYING KIDSが持つパンクな一面を示そうとしてもいたんだと思う。80年代後半から90年代にかけては、米米クラブとか久保田利伸さんとか、ファンクとポップスが融合したハイクオリティな音楽が世の中を席巻していたから、「落書きみたいな絵でもかっちょいいんでないの?」という提案でもあったと思います。象徴的なのは〔続いてゆくのかな〕のあとに〔行け行け〕と〔やだやだ〕という正反対の言葉が続くところ。なにかの物語を全部カットしているところが偉いですよね。作ったのは自分ですけど(苦笑)。

(メジャーデビューする直前、1990年に雑誌に掲載されたFLYING KIDS。)


インタビュー : 木村由理江