36.マニアックすぎてアルバムに入らなかった『国民の皆さん』

――『幸せであるように』を求められすぎて、歌うのがいやになったことはないですか。

 案外、ないんですよ。「今日は歌わなくてもいいかな」と思う時もありますけど、歌い始めちゃえばそれなりに“格闘”が始まるというか。ルーティーンで歌える曲ではないし、毎回挑まなきゃいけないから飽きないんです。とはいえ30年以上も歌い続けるとは・・。最近もCMで使われたりしたし、気に入ってくださる方が今もたくさんいらっしゃるのは本当にありがたいし、ずっと歌い続けていることに“宿命”みたいなものも感じます。自分を含めFLYING KIDSがなぜこの曲を生み出すことができたのかいまだにわからないし、自分にとって特別な曲です。こうやって振り返るとちょっと不思議な気持ちになりますね。

――デビューシングルのカップリングは『名曲アルバム』(1989年12月インディーズで発売)にも収録された『国民の皆さん』です。

 アマチュア時代からライブで演奏していた曲を改めて編曲し直したヴァージョンです。プリンス自身がお蔵入りを決めた『ブラック・アルバム』(1987年12月発売予定が中止に。1994年に公式盤が限定発売)の海賊版に僕がハマっていた時期だったこともあり、めちゃめちゃファンクな曲になりました。でもこれこそがFLYING KIDSならではのオリジナリティだし、こういう曲ができたことが自分たちにとってはすごく重要だったんですよ。間奏の飯野さんのマリンバみたいな音も、本人たちは「クールだなぁ」とすごく喜んでいたし。ただマニアックすぎてアルバムには入らなかったという・・。それでシングルのカップリングはアルバムではできないことをやろう、カップリングはアルバム未収録にしようと決めて、90年代はそれをずっと貫きました。憧れていたプリンスもシングルのカップリングはアルバム未収録でしたから。いつかカップリングをまとめて1枚のアルバムにしたいと、思ってましたね。

――〔国民の皆さん〕というフレーズはどこから?

 なぜかあの頃の僕は、ライブでやたらと「国民の皆さーん」と呼びかけていたんですよ。それで“管理社会を皮肉りながら自由を標榜する”みたいなことを歌詞のテーマにしたんでしょうね。僕が大学に入った頃はまだ学生運動の名残りがあったし、一緒にジャズバンドをやっていたOBたちは政府に対する問題意識が強かったから、僕も短い期間とはいえサラリーマンを経験して、電車にパンパンに詰め込まれて会社に運ばれて働くだけ、みたいな状況を壊したいという想いもあったのかもしれない。

 この曲は当時、ライブのオープニングでよく演奏してましたね。最初に加藤がハンドマイクで出て行って、口ドラムとラップで冒頭のフレーズを繰り返しているところに飯野さんのキーボードが加わり、そこからメンバーが1人ずつステージに出ていってライブが始まる、という演出。少し皮肉っぽいメッセージとともにこれからファンクショーをやりまっせ、というタッチだったんですね。ところが初めての日比谷野音で飯野さんのショルダーキーボードの調子が悪くて、出ていくまでにすごく時間がかかってしまったんですよ。その間、最初にステージに出て行った加藤が1人でつないでいたんですけど、「死ぬんじゃないかと思った」って言ってました(笑)。

 今、久しぶりに聴きましたけど、自分があまりに自由すぎてちょっとびっくりしました。とても天然で歌っているとは思えないですね。怪しい人たちが僕に寄ってきたはずですよ(笑)。

(雑誌に掲載された初期のFLYING KIDS。撮影は三浦麻旅子さん。撮影場所はビクタースタジオの階段だと思います。)


インタビュー : 木村由理江