29.長いものには巻かれておけ

――状況が動き始めたのはいつ頃ですか。

 僕は会社にはもう行ってなかったから9月に入っていたと思うんですけど、フセマンと2人で『名曲アルバム』の印税契約のことでアミューズに行ったんですよ。せっかくだから「イカ天」のプロデューサーの有竹(雅巳)さんに挨拶しようとしたら、「今、会議中だけど、お前たち、ちょっと会議室に来てくれ」って。行ってみたらコの字型に並んだテーブルの一番奥に大里洋吉会長が座っていて、山本久社長を始め「イカ天」に関わっているアミューズの幹部の人たちがずらりと顔を揃えていた。まるで『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウとゼーレの幹部の会議みたいな世界でしたね(笑)。その真ん中に椅子が二つ置かれていて「ここに座って」って。そこで大里会長に「この波に乗っておけよ、長いものには巻かれておけ」と言われたことはすごくよく憶えてます。その時に有竹さんに、新たに「イカ天」のブレーンに加わった、EPICソニーをやめて小さな事務所を立ち上げたばかりの人を紹介されたんですよ。その人が9月26日の芝浦インクで初めてFLYING KIDSのライブを観てすごく気に入って、「マネージメントをやらせてくれ」と手をあげてくれた。それで僕らはその人の事務所に入ることになるんです。

――確認ですけど、レコード会社は最初からビクターで、と決まっていたんですか。

 決めてはいなかったです。ビクターの大友さんは僕らの面倒をすごくよく見てくれてましたけど、結論は出ていなかった。窓口になっていたフセマンのところには他のレコード会社からもいくつか話が来ていて、僕も一度、有名ファッションブランドがやっていたインディーズレーベルの人に会いに行ったりしましたよ。ただアミューズの大人たちは「ビクターは一流だし、大友さんとその上司の田村さんと一緒にやるのが一番だ」とずーっと言ってました。まあ、選択の余地なし、という感じでしたね。マネージメントに関しても「お前たち、事務所が決まったから」って。だから自分たちで選んで決めた、という感覚はなかったです。大里会長の「長いものには巻かれておけ」という言葉通り、長いものに巻かれっぱなしでその頃は生きてました(苦笑)。とにかく忙しかったし、どんどん話は来るし、物事は次から次へと進んでいくし・・。それで何か困ったり、状況が悪くなることもなかったから、僕らはみんな、周りの大人たちを信じていたんですよね。事務所が決まったらデビューまでのスケジュールもトントン決まっていったんじゃなかったかな。

――会社員ではなくミュージシャンへの道を突き進んでいく浜崎さんを、ご両親はどう見ていたんですかね。

 8月29日の日本青年館の「イカ天」のイベントを両親が初めて観に来てくれたんですけど、それ以前に母親が「自分の息子ではあるけれど、誇りに思っています」みたいな手紙をくれていまして。もう「好きにやりなさい」ということですよね。それから急に、僕に対して何も言わなくなりました。その代わり「独自の世界があるでしょうから」と、旅行に行っても僕にだけお土産を買ってきてくれなくなったりもするんですけど(苦笑)。僕も「わかりました、それで結構です」みたいな。そういう関係でした。父親も同じような感じでしたね。

(母親との写真は日光へ旅行した時のもの。父親とは宇都宮の家のお風呂にて。)


インタビュー : 木村由理江