28.小泉今日子さんとクノールカップスープのCMで共演

――マネージメント会社がなかなか決まらないことに浜崎さんが焦りを感じたりは?

 どうだったかな。結構忙しかったですからねー。夜になるとビクターの大友さんが押さえてくれた、ビクタースタジオ3階の小さなリハーサルスタジオに集まって、よくみんなでリハーサルや曲作りをしてたのを憶えてます。夏にはフセマンの親戚が持ってきてくれた仕事で、トヨタの埼玉エリアの営業所3ヶ所でライブをやったり、同じ頃にTBSの「ザ・ベストテン」の“注目の若手紹介”みたいなコーナーで組まれた「イカ天」の特集に絡んで取材を受けたり、大友さんの上司で小泉今日子さんのディレクターもしていた田村光義さんが持って来てくれた、小泉さんと共演するクノールカップスープのCM(1989年10月から翌年3月まで放映)の撮影もあったりしたし。

――クノールカップスープのCMソングで小泉さんが歌った『見逃してくれよ!』も話題になりました。歌詞は活発委員会、曲はメンバーの加藤さん。加藤さんのデモテープが気に入られて採用になったと、以前、オリジナルメンバーが対談で話しています。伏島さんと丸山さんがCMの絵コンテを見ながら、CMサイズに曲を仕上げたという話もその時に出ていました。

 そうだったみたいですね。当時窓口になっていたのはフセマンで、営業やCMの契約の話に僕は全然関知してませんでしたけど、クノールカップスープのCMのギャラはかなりよかったみたいです。全てのギャラは一旦全部フセマンの口座に振り込まれ、そのあと俺たちに分配されてました。ただ当時は誰も税金のことなんかわかってませんからね。フセマンも何も考えずに必要経費を引いた金額を頭数で割ってみんなに配っていたんでしょうし、僕たちも領収書を書いたりしなかった。結果的に全部がフセマンの収入とみなされて、確定申告ですごい額の税金を持っていかれそうになるんですよ。その時には事務所が決まっていましたから、経理の人が慌てていろいろ交通整理をしてくれてことなきを得たんですけどね。

――1989年12月10日にはBandstock RecordのIka-Tenレーベルから『名曲アルバム』(6/27 MZA有明、9/26 インクスティック芝浦ファクトリーの音源を収録。6曲入り)を発売しています。これはどういう経緯で?

 バンドストック事務局に「CD出そうよ」と言われて、「はいはい」と乗っかっただけですね。ジャケットは僕のイラストですけど、それも「描いてよ」と言われて描いただけ。『幸せであるように』を入れなかったのは、アルバムのディレクターだったビクターの大友さんの提案でした。メジャーデビューまで温存しておこうということだったんでしょうね。FM群馬ROCKERS’88の上毛新聞社賞の賞品として決勝のライブを収録したLPレコードが送られてきた時には、「音も演奏もひどいなあ」と思いつつ「いい記念」と嬉しい気持ちになりましたけど、『名曲アルバム』はインディーズじゃないですか。当時と今とでは“インディーズ”のイメージが全然違いましたから、「なんか一人前じゃないなー」という気がしてそんなに盛り上がらなかった記憶がありますね。そもそも僕らはちょっと浮世離れしてたというのもあるんですけどね。だから完成したCDを渡されても「はあはあ」という感じで、いちいち喜んでなかった気がする。メジャーになってからも、その辺はあまり変わらなかったですね。

(クノールカップスープの撮影の時、小泉今日子さんと。場所はTBSの緑山スタジオか?)


インタビュー : 木村由理江