30.「イカ天」とFLYING KIDS

30.「イカ天」とFLYING KIDS

――1年8ヶ月の放映期間に多くのバンドを輩出し、大きなブームを起こした「イカ天」。「イカ天」とは何だったと思いますか。

 “バンドブームの総括”だったと思います。「イカ天」の番組制作に関わっていた今野多久郎さんが以前、「ホコ天でみんながバンドをやっていると聞いて、それを番組にしようと思った」と話してましたけど、あの時点ですでに、ストリートでもライブハウスでもバンドブームは起きていたんですよ。それまでにはいなかったタイプのバンド、例えばブルーハーツだとかユニコーンみたいなパンクやニューウエーヴの影響を受けたバンドやX のようなヴィジュアルバンド、さらには東京スカパラダイスオーケストラみたいなバンドが次々と登場してきていましたから。それを“わかりやすくエンタメで見せよう”としたのが「イカ天」だったと思います。終わりを迎えつつあったバンドブームに、FLYING KIDSはギリギリ滑り込んだ。“日本語でファンクをやる”という新しいコンセプトを、テレビというメディアを通じて紹介してもらえたことで、日本の音楽シーンにそれなりの爪痕を残せたんじゃないかと思っています。

――「イカ天」に出なかったら、FLYING KIDSはどうなっていたでしょうね。

 メンバーのほとんどが就職してましたから、プロになるのは難しかったかもしれない。初回の「イカ天」に勝ち抜いたことがバンドに勢いをつけたのは確かです。

――番組に出た時点で数本しかライブをやっていなかったFLYING KIDSは、まさに「イカ天」から出てきたバンドなんですよね。

 そういう意味ではテレビ向きだったんでしょう。ライブハウスでファンをつけてメジャーデビューしていくという基本的なバンドのあり方さえ、僕らはちょっと壊したのかもしれない。あの番組にいろんな才能が集まっていたのは確かだし、本当におもしろかったと思います。その中で5週勝ち抜いて初代グランドイカ天キングになったのはすごくラッキーでした。「イカ天」=ちょっとふざけたバンドやおもしろいことをするバンドが出る番組というイメージが定着しつつあった時期に僕らが登場したことで、「本気なんだ、この番組」と観ている側が襟を正す、みたいなこともあったと思うんですよ。

――そのあと登場するバンドにFLYING KIDSが与えた影響も大きいですよね。

 多分「イカ天」の制作サイドの人たちも、「ありがたいな、こいつら」と思ってくれてたと思います。だからすごく大事にしてくれました。イベントの出番はいつも最後だったし、イベントの終わりには他の出演バンドみんなで『幸せであるように』を歌うのがお決まりになってましたから。

――一世を風靡した「イカ天」を象徴するバンドだったということですね。

 でもブームはすぐに去り、「イカ天」出身であることが逆に足枷になっていくんですよ。世の中に何か違うインパクトを残さないといつまでも「イカ天」のレッテルの中で生きていかなきゃいけなくなるという“恐怖”みたいなものが強かったです。取材でも「イカ天」の話はしたくない、それよりも次のこと、次のこと、と思ってました。今でも自ら進んで「イカ天」について話すことはないですね。訊かれたら答えるくらい。ただすごく特殊な状況だったというのは、振り返るたびに思う。あの頃はもっと世の中が明るかったし、テレビに元気があったということもあるでしょうけど、あの盛り上がりは奇跡的でしたよね。そういう意味では懐かしさもすごく感じます。話しても話してもよくわからないことが、いっぱい起きていたんですよ。

(グランドイカ天キングになった瞬間。)


インタビュー : 木村由理江