14. 『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』出演

――『イカ天』出演の話は、どこから舞い込んだんですか。7人体制で初めてやった10月のサウンドハウスのライブに、『イカ天』の立ち上げから関わり、出演するバンドを見つけ出してお世話をする“バンドストック事務局”の事務局長だったジャクソン井口さんが来ていたという説もあるんですよね。

 ありますね。でもその辺から『イカ天』に出演するまでの流れを、はっきり憶えているメンバーが僕を含め誰もいないという(苦笑)。ついこの間まで「ジャクソンに声をかけられた」と言っていたフセマンが、ここにきて急に「俺は直接声をかけられてない」って言い始めていたりするし。あと、松原みきさんのバンドでギターを弾いていた丸山さんを知っていたサウンドハウスの社長がジャクソンの知り合いで、「いいバンドいない?」と訊かれてFLYING KIDSの名前を出したんじゃないか、という説もあるんですよ。

――でもどっちが本当かわからない、と。

 そう。フセマンは「俺は仕事で日程が合わなかったから最初の番組説明会には丸ちゃんに行ってもらった」って言うんだけど、当時から記憶力がない丸山さんは「そうだっけ?」と首を傾げるだけですからね。今回、その辺のことを飯野さんや淳ちゃんにも確認しましたけど、どちらも「自分は説明会に行ってない」とは断言するけど、それ以外、何も憶えていなかった。昔っから記憶力がすごくよくないグループなんですよね(苦笑)。ただ・・。

――“ただ”?

 僕はフセマンから「今度、新しく始まるテレビのオーディション番組に出ようと思ってるんだけど、どうかな」と言われた記憶があるので、フセマン経由で話が来たことだけは確実だと思います。ただそれがいつ頃だったか、定かじゃないんですよ。1月7日のサウンドハウスのライブ前日のリハの時だった気もするし、そのライブのあとだった気もするし。

――『イカ天』の話を聞いて、最初はどう思いました?

 当時からFLYING KIDSは実によくミーティングをするバンドでしたから、すぐに会議を開いて、出演するかどうか、みんなで話し合ったんですが、最初はみんな、半信半疑でしたね。ライブにスカウトが来てテレビに出るなんて信じられないなあという感じで、「もしかして騙されてるんじゃないの?」って。「途中で演奏ビデオがワイプされたらどうしよう」、「それってカッコ悪いよね」と話したり。でも“テレビに出てみたい”という気持ちはみんなあったし、クロコダイルでの初ライブが3月30日に決まっていましたから、その宣伝ができれば集客につながるんじゃない? という思惑もあって「まあ出るか」という話になったんだと思います。それを受けてフセマンが『イカ天』の事務局に連絡を取り、3月4日の出演が決まったんだと思う。その時点で『幸せであるように』はまだ煮詰めている最中だったので、「とりあえず『我思うゆえに我あり』をやるか」ということになり、2月頭に日比谷シャンテのスタジオで演奏の収録をしたんじゃなかったかな。それも定かじゃないですんですけどね(苦笑)。『イカ天』の初回の放送(1989年2月11日)は、高円寺のスタジオ アフタービートのロビーのテレビでみんなで観てました。「騙されてたわけじゃないんだな」とそこでやっと実感が湧いたというか。「これは影響力が大きそうだぞ、ちょっと頑張るか」と、みんな、気合が入ったと思います。

(1989年3月30日、原宿クロコダイルでのライブの模様)


インタビュー : 木村由理江