5.シャウターへの憧れ

――将来は音楽で・・と思い描くようになったのはいつ頃から?

 中学生になってレッド・ツェッペリンとかザ・フーとかザ・キンクスとか、ビートルズ以外のブリティッシュ・ロックをよく聴くようになるんですが、その頃にはもう“ミュージシャンへの憧れ”は感じてました。ただまだ中1くらいでしたから、ふざけて「プロレスラーになりたい」とか言ってましたけどね(笑)。高校生になって“自分が一番好きなのは音楽だ”と確信してからは、友達の女の子に「ミュージシャンになるんだ」、「歌手になるんだ」と話してました。

――当時憧れていたのはどんなヴォーカリストですか。

 “シャウター”と呼ばれる人たちが好きでしたね。ミック・ジャガーやザ・キンクスのレイ・ディヴィスやエルビス・コステロのようにシャウトする人。やっぱり胸の奥にある“つかえ”みたいなものを吐き出したいという想いがすごく強かったんでしょうね。ジョン・レノンもポール・マッカートニーもシャウターではあるけど、ちょっと不良性のあるジョンの歌の方が好きでした。メロディよりも声の質、シャウトの質に重きを置いている人たちというか。ボブ・ディランにもそういうところがありますよね。ボブ・ディランの場合はシャウトというよりアジテーションなのかな。そういうのも好きでした。最終的にはジェームズ・ブラウンに行き着くんだけど。

――浜崎さんが当時、胸の奥に抱えていた“つかえ”とは、どんなものだったのでしょう。

 男三兄弟の次男坊で、常に2歳上の兄が注目され、3歳下の弟が可愛がられるという現実がありましたから、その二人に挟まれていることでの欲求不満みたいなものは、物心ついた頃からあったと思うし、“自分の存在”みたいなものを外に出せない、誰にも認めてもらえないという焦燥感みたいなものは常にありました。まあ長男は長男で、三男は三男で、それぞれ思っていたことはあるんでしょうけどね。宇都宮という街自体もどこかぼんやりとした空気に包まれている感じがして、そこに自分が閉じ込められているような気もしていましたね。だからここから出たい! ここじゃないところに行きたいと、早い時期から思ってました。そんなモヤモヤしている時に、ロンドンではパンクやニューウェイヴのムーヴメントが起きて、ポール・ウェラーが登場し・・。そんな記事を『ミュージック・ライフ』で読んで、オレもロンドンにいたらこの一員になれたかもしれない、という妄想が湧き上がったし、ロンドンに生まれていればよかったと本気で思ってました。とにかく、それまでの社会通念みたいなものを覆して新たなシーンを作っていこうとする若者たちの動きへの憧れはすごく強かったです。あんな革命みたいなことをみんなで起こしていて、しかもそれがすごくかっこいいなんて、そんなに羨ましいことはないな、と思ってました。結果的に、『イカ天』に出た時に、似たようなことになっていくんですけどね。


インタビュー : 木村由理江