92.それまでの試行錯誤が実を結んだ『風の吹き抜ける場所へ』
ーーカメラマンの小暮徹さんの言葉から生まれた『風の吹き抜ける場所へ』。曲作りはどんなふうに?
僕はドラマの撮影がありましたから、僕以外のメンバーのバンド内コンペで選んだフセマンの曲を元に作り始めました。自分の中に明確にある曲やサウンドのイメージをメンバーに伝え、僕が撮影で不在の間にメンバーが作業し、それを聴いて僕がさらに「もっとこんなふうに」と伝えるという流れでした。サビのコード進行も、メンバーがアイディアを出し合って作ったものに「まだ物足りない、こんな感じにサビを転調したい」と僕が注文をつけ、当時気に入っていたダリル・ホールのソロ曲の転調を参考に修正してくれた。あのサビを聴いた時には、転調の仕方の新鮮さに感動しました。
今、楽曲を聴いて思い出しましたけど、歌詞は最初、スタッフに勧められたコピーライターの女性とやり取りしながら書いてました。新しい歌詞のスタイルを見つけたいと思っていた時期でしたから試してみたんです。確かに気付かされることはいろいろありましたけど、どうもしっくりこなかった。そしたらある日、「そうだ!」と閃きまして。それで僕がゼロから書いたのが今の歌詞です。ポイントは始まりの〔彼女の耳にピアスが揺れて〕の“自分”ではなく目の前にいる“あなた”のことをきちんと歌うという視点です。それが他の人の人生を見つめることにつながって、そこから物語が生まれ、歌詞が出来上がっていった。これは僕にとって大きかったですね。
――この曲は浜崎さんの予言通りにヒット。勘も感覚も研ぎ澄まされていたんですね。
僕が初めてドラマに出て、そのドラマがヒットして、バンド自体も上り調子でしたから、曲作りに挑むメンバーのやる気と集中力は相当なものだった気がします。『大きくなったら』、『恋の瞬間』と続けてきていた“ファンクバンドとしてのFLYING KIDSらしさを残しつつよりポップな曲をどう作るか”という試行錯誤が、この曲で実を結んだということでしょうね。ファンクの解釈を広げて8ビートとラテンをミックスさせたり、サビの途中で言葉を詰め込むパートを作ったり、〔フレンチキッス フラッシュライト浴びて〕でジョージ・クリントンの『Flashlight』(1978年)をチラリと出したり、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのライヴ音源からサンプリングした水に飛び込むような音を間奏明けに差し込んだり、ティンパニーの使い方でFLYING KIDSのバンド名と関係がある山下達郎さんの『SPARKLE』の開放感を目指したり・・。爽やかな曲の中にファンクの匂いや憧れのミュージシャンへのオマージュが散りばめられている。FLYING KIDSらしさを残して、どこまで飛躍できるかという、その匙加減がギリギリのポイントでうまくできた曲だと思います。FLYING KIDS第二期のピークのひとつだったと言ってもいいかもしれない。丸井「’94 夏のキャンペーン 水着&浴衣」のCM曲に決まったのは、楽曲ができたあとだっんじゃなかったかな。ラジオのオンエア数もすごくて、いろんなところで流れてましたね。「やっとまた違うステージに来れたね」とみんなで盛り上がってました。

(シングル「風の吹き抜ける場所へ」の新聞広告)
インタビュー : 木村由理江