55.あの頃はセッションで“偶然”を“必然”に変えることができた

――1991年、FLYING KIDSはデビュー2年目。3月6日に約1ヶ月半にわたる2度目の全国ツアー“新しい方々”(全11本)がスタートし、その間に、前年末に発売したアルバム『新しき魂の光と道』から『新しい方々』がシングルカットされました。カップリング2曲のうち1曲が『こんなにたくさん集めて』です。

 やりたい放題というかバンドマンシップ100%で作ったカップリングですね。リズムのヒントになったのはキャロン・ウィーラーの『リヴィン・イン・ザ・ライト』(アルバム『UKブラック』(1990)収録)。Soul Ⅱ Soulが生み出したグラウンド・ビートの発展型とでも言えばいいのか、レゲエやアフリカンが少し混じりつつグルーヴしていく、ちょっと不思議なリズムです。『こんなにたくさん集めて』は構造がすごく複雑で、今、一人であれをやろうとしたらとてもまかなえない。メンバーとセッションを繰り返しながら、“偶然”をうまくコントロールして“必然”に変えていくことができる時間がたっぷりあったからできたんだと思います。

 この曲は丸山さんの活躍も大きいですね。ロック的なギタープレイが、なかなかすごいです。最近は発達したテクノロジーでいろんな加工が可能になって、なかなか純粋に演奏でみんなを驚かせることはなくなりましたけど、初期のFLYING KIDSには「すごいじゃん!」と喜んでもらえる演奏がたくさんあったんですよ。

――歌詞にはどんな想いを?

 好きな人に対して抱く嫉妬とか憎しみってあるじゃないですか。好きなのに憎んだり、好きであればあるほど憎しみがつのったり。そういう複雑な感情をたくさん経験していくことが人生である、みたいなことです。歌詞に“死”という言葉が出てくるのは、“自分は長くは生きない”と思っていたからでしょうね。

――初期FLYING KIDSの楽曲は本当に振り幅が広いです。メロディがはっきりしているものからそうではないもの、胸を打つものから笑えるものまでいろいろです。

それができたのは、他の人たちがどういうふうに作品を作っているかを全然知らなかったから。「こうやるものだよ」と教わることもなかったし。価値基準が違いすぎて、周りはアドバイスもできなかったのかもしれない。そのうち、自分たちで気がついていろいろ変えていくんですけど。

 和音の出ないアナログシンセで1音ずつ録って、それを重ねて和音にしたヴァージョンもあったんですよ。イメージしていたものとは違ったので、完全にお蔵入りになりました。

(大学の時の卒業制作展に出品した作品。タイトルは「ファンキーなポスター」。1989年。)


インタビュー : 木村由理江