54.会心の出来だったアルバム『新しき魂の光と道』と吹き始めた逆風

――2枚目のアルバム『新しき魂の光と道』の仕上がりはいかがでしたか。

 非常にファンクだし、実験的でマニアックな部分とポップな部分がうまく落とし込めていて、僕たちはすごく気に入ってました。いまだにすごく好きな曲もあるし、ファンのみなさんの中で非常に評価の高い曲もある。捨て曲なし、みたいな内容ですよね。FLYING KIDSの音楽を、1枚目より確実に前に進めることができたとも思ってました。もっとわかりやすいほうがいいと感じていた人もいたかもしれないけれど、このアルバムのタッチはいまだに自分の中にあるし、FLYING KIDSの真髄もこのアルバムにちゃんと収められている。最近のライブでやってるフセマンの物販コーナーは、マッチョズの流れだったりしますからね。ただ1枚目の『続いてゆくのかな』ほどは売れなかったんですよ。それにはがっかりしたし、この頃からスタッフが言っていた“ブームの終わり”を自分たちも肌で感じるようになっていくんですよね。

――具体的にはどんなことで?

 アルバムの発売に先駆けた11月と発売後の翌3月に全国ツアー(11/1~初ツアー“新しき魂の光と道” 全9本、3月6日~ツアー“新しい方々” 全11本)をやりましたけど、チケットが売れる勢いが落ちていったし、お客さんの入りがだんだん悪くなっていった記憶があります。

――デビュー前の日清パワーステーションは700枚のチケットが即日完売でしたからね。11月のツアーに関して言えば、ツアー初日の11月1日に渋公でやって、5日、6日とパワステでやっている。そのあたりにも原因がありそうな気もしますけど。

 まあ、そうですけどね。デビュー前に出ていた地方のオムニバスのライブでも、東京と地方でFLYING KIDSに対する盛り上がりが違うのは感じていましたけど、自分たちのツアーで地方に行くようになると状況の厳しさがさらによくわかるんですよ。それにその頃にはもう、「イカ天」出身であることがカッコ悪い、というような風潮も高まり始めていた。僕らが過敏に反応しちゃってたところもあるかもしれないですけど、「どうせあいつら“イカ天”だろ」とか「どうせテレビから出てきたんだろ」という悪意のようなものを感じることもありました。“渋谷系”と呼ばれる人たちが出てきてからは、一般の人にも“イカ天出身=テレビから出てきたチャラい人たち”という目で見られようになって、逆風吹きまくりという感じでした。自分たちが「イカ天」出身であることを重荷に感じる時期に突入していったのも、この頃からでしたね。

(デビュー当時雑誌オリーブに掲載された写真。手にしているのは当時愛用していたシャープのカセットプレーヤー。蓋が取れてしまった。)


インタビュー : 木村由理江