48.当時の楽曲作りの基本はセッション。感覚的に進め、仕上げていた

――『心は言葉につつまれて』で始まるアルバム『新しき魂の光と道』。2曲目は『毎日の日々』のオリジナルヴァージョンです。

 作ったのは会社員だった頃です。当時は“終身雇用”という考えが主流で、一度就職したら転職なんてほとんど考えられない時代でした。僕の父親も横浜から地元の栃木に戻って公務員になってからは、定年まで勤め上げています。僕も毎朝通勤電車に揺られながら「こうやって同じような日々を積み上げて、歳をとっていくんだな」と思ってました。大学を卒業して勤めた会社の築地のオフィスに通うことにまだワクワクしてた時期だったから、「それも悪くないなー」という気分でしたけどね。専業ミュージシャンとして音楽をするより、仕事をしながら音楽もやるというスタイルも新しくておもしろいんじゃないかと思っていた時期でもあったし。その中で“毎日の日々”という言葉が、浮かんできたんですよ。“毎日”と“日々”、ほとんど意味が同じ言葉をくっつけるって、なんかおもしろいですね。すごい発明だなーと、今、思いました(笑)。

――作曲は丸山さんです。

 作ってきたのはベースになるコード進行だったはず。もしかしたらサビのメロディもあったのかな。当時は誰かが1曲を完璧に仕上げてくることはなくて、クレジットされている人が持ってきたなんとなくのコード進行とふわっとしたメロディをもとに、メンバー全員でセッションを繰り返しながら全体の構成やコード進行を考え、その中で僕が瞬発的に浮かんだメロディや言葉をのせて最終的に仕上げていくという作り方でした。一度、スガシカオくんにこの曲について細かく訊かれたことがありましたけど、何にも答えられなかった(苦笑)。それくらい感覚的に進め、仕上げていたんですよ。

――3曲目は『するコトダケ』です。作曲は加藤さん。

 『心は言葉につつまれて』と同じく、加藤がボビー・ウーマックの影響を受けて書いた曲だったはず。ボビー・ウーマックは黒人のソウルのシンガーソングライターですけど、カントリーミュージックとかビートルズとか、いろんな音楽の影響を受けた独自の世界を持っているんですよ。中でもこの曲はカントリーミュージックの影響を受けた黒人のボビー・ウーマックが作った独自の音楽を、日本人の僕らがモチーフにしているので、なんかややこしいんですよね(苦笑)。そのややこしさが冒頭のギターのリフに出ている気がして、「ファンク的にどんなもんかなー」と最初は違和感がありました。でも新たな音楽の領域に手を広げようということだというので、OKになったんです。

歌詞には、『毎日の日々』に通じる“淡々と生きる“ことと“性的なこと”は切り離されているわけではなくて共存しているんだよ、というイメージをうまく収めることができたと思っています。日本のポップスのフィールドにそれまでなかった“愛の学習”=“生きていくための学習”みたいなことを、持ち込もうとしたんでしょうね。スタッフにはそこを「おもしろい」と喜んでくれる人と「よくわからない」と首を傾げる人がいましたけどね。

この曲のMVを撮ってくれたのは泉谷しげるさんです。事務所の社長が知り合いで、ビクタースタジオで泉谷さんにバッタリ会った時に「FLYING KIDSのMV撮ってくださいよ」とお願いしたら快諾してくれて、アルバムの音源を聴いた泉谷さんが「『するコトダケ』がいいねー」と。泉谷さんにお会いしたのは、その撮影が初めてでした。

(1989年頃のFLYING KIDS。この当時、半年間だけ会社に勤めながらバンド活動をしていた。)


インタビュー : 木村由理江