43.自由すぎる『おやすみなさい』、『続いてゆくのかな』完成後の想い
――アルバム10曲目の『おやすみなさい』はフランス民謡の『フレールジャック』の浜崎バージョンです。
当時僕がクラブイベントとかに飛び入りした時に、独唱していた曲です。歌詞は勝手につけているし、メロディを足し、タイトルも変え・・。自由だなあ(笑)。でもどうしてこの曲を歌っていたのか、全然思い出せない。同じように当時よく『大きな栗の木の下で』を歌っていて、それは〔あなたとわたし 仲良く遊びましょう〕という単純なメッセージに深い意味があるような気がしていたからだっていうのは憶えているんですけどね。今、思い出しましたけど、この曲をレコーディングしたのは松沢教会です。教会バージョンにしようと提案したのはディレクターの大友さん。飯野さんが弾く教会のパイプオルガンに合わせて僕が歌い、居合わせた人たちにも参加してもらいました。
――教会で録ったのはこの曲だけですか。
この曲だけです。他に教会で録ったのは、曲間をつないでいる音ですね。いろんなシーンを想定しつつもテキトーに、その場のノリで録ったはず。『我思うゆえに我あり』か『おやすみなさい』に入る直前の説教みたいなものは全部アドリブです。
――アルバムを締めるのは『あれの歌(再び)』です。30秒ほどの短さです。
今、久しぶりに聴いて、これで締めているのがいいなあと思いましたね。どこかざわざわした不穏な感じが、むしろパワーになっていて、生きているリアリティを感じるというか。
――アルバム『続いてゆくのかな』が仕上がった時にはどんな感慨が?
自分たちの好きなように作ったんですけど、「なんだかなあ」という感じでした。自分が聴いていた音楽と音像が違ったんですよ。太くないし、抜けてないし、ビシッとしてない。なんかグシャっとしてて、カオスだなーと。うまく作り上げられなかった反省と後悔の方が大きかったですね。ものを作ってる人間にはつきものですけど、「もうちょっとこうしたかった、ああしたかった」と思ってばかりでした。のちに清水ミチコさんと対談した時に「このアルバムは日本の音楽史上に残りますよ」と言われて、「そう思ってくれた人がいるということはいいアルバムだったんだな」と認識が大きく変わるんですけどね。今聴くと、音像がグシャっとしているところもFLYING KIDSのよさだったんだと思います。
アートワークに関しても「なんだかなあ」と思ってましたね。MVのセットを含め、シングルやアルバムのジャケットとかインナースリーブとかについて「こんな感じで進めようと思っているんだ」と提案されるたびに、どうもピンとこないんですよ。それで「もっとこんなふうにしてほしいんですけど」と伝えるんですけど、仕上がってくるものがやっぱりちょっと違う。僕らのセンスと“大人たち”が用意してくれるもののピントがずれていたんですね。その辺のストレスは最初からありました。アートワークももっと自分たち主導でやらなきゃ、と心に決めてセカンドアルバムで頑張るんですが、それもまた変なことになってしまうという・・(苦笑)。
このアルバムには自分の胸の内を全部言い切っちゃうようなところがあって、純粋極まりないなあと思います。それでセカンドアルバム以降、苦労するんですけどね。
(当時発売されたファーストアルバムのカセット。今では、アートワークはこれで良かったんだと思っています。)
インタビュー : 木村由理江