41.いまだによくわからないところがある『我思うゆえに我あり』

――アルバム6曲目は『我想うゆえに我あり』。音源化されている2番目に古い曲です。

 確か「BRUTUS」だったと思うけど、ファッションのページでデカルトの“我想うゆえに我あり”を見つけてびっくりしたんですよ。哲学の教科書で読んでいた僕の大好物の哲学的なフレーズが、「組み合わせ次第でこんなに魅力的に思えるんだ!」って。音楽にしたらもっとかっちょいいだろうな、哲学的なフレーズをグルーヴに載せていきたいなと、その時に思ったんでしょうね。ただ実際に楽曲が出来上がっていった過程は、よく憶えてないんですよ。最初にベースラインとドラムのパターンがあって、セッションしている中で自分がその場で言葉をはめていったのか、「こんなベースラインとドラムパターンでやってもらえない?」と頼んでセッションし、そこに言葉をはめていったのか。ベースの音はそのままで、飯野さんがコードだけは動くような構造でキーボードをはめていったのを「いいね」と採用したり、ディスコ的なイメージで進めていたのに、途中で中さんがレゲエっぽい感じを少し混ぜてきたりして「それもいいか」と採用したのは憶えてるんですけどね。Aメロの展開はみんなでアイディアを出し合いながら考えて、最後は“シャラララ”で爆発する、というふうに作っていったんだと思います。みんな美大出身だからものも見方が変わっている人が多いし、新しいものを作らないとダメだという感覚も強かったから、毎回激しく個性がぶつかり合ってましたね。出来上がった時には『ちゅるちゅるベイビー』以上の手応えがありました。

――歌詞に関しては?

自分自身でもいまだによくわからない部分がありますね。〔我思うゆえに我あり〕って冒頭で自分の存在の確認をしちゃっていますから、あとは何でもよかったというか。ファンクなサウンドに載せたらよりおもしろくなりそうな“昭和”という言葉や子どもの頃に好きだった『月の砂漠』をイメージさせる言葉とかをコラージュして、その中で浮かび上がってくる機微みたいなものを感じてもらえればいい、と思っていたんじゃないかな。とにかく印象に残るようにしたかったんでしょうね。フセマンに「これを読んで研究して」と渡された井上陽水さんの歌詞集に載っていた、シュールな歌詞の影響もあったと思われます。

――〔正しいよ〕とか〔素敵だよ〕という肯定的な言葉の繰り返しも印象的です。

肯定することは自分の中ですごく大事でした。『ぼくはぼくを信じて』のようなネガティヴなことも歌うんですけど、聴いている人が元気になるようなものを作りたいと思っていたし、ポジティヴなものに対する憧れは強かったと思います。それは今でも変わらないですね。

(「我想うゆえに我あり」がCMに使用されたパナソニックの商品のパンフレット)


インタビュー : 木村由理江