23. 教育実習では生徒から“チェルシー”と呼ばれていました

――美術系の大学を目指したきっかけはなんだったんですか。

 小さい時から僕の描いた絵を見ていた母親が言ったんですよ、「お前は絵が上手いから美大に行ったら?」って。高校1年の最初の美術の授業で「美大志望の人はそのための準備と指導が必要だから早めに申告するように」と言われたことを覚えているくらいだから、行ってみたい気持ちはあったんだと思う。アート的なことは好きでしたからね。でもお金もかかりそうだから無理だろうなと諦めてました。本が好きだから大学は文学部かなと無理矢理押しつぶしていた気持ちの蓋が、母親の一言で開いて「あ、行っていいんだ」って。どこかで真面目に粛々と生きなきゃいけないと思っていたけど、そうじゃなくていいんだな、と解き放たれた瞬間でもあった気がします。それで同じ高校に通っていた加藤の紹介で、あんでるせん絵画教室に通い始めたんです。東京の国立大学で美術科があるのは東京藝術大学と東京学芸大学の美術科だけだったので、可能性の高い学芸大学を目指すことにしました。

――“美術の教師”という選択肢は、その時点でありました?

 いや、僕にはなかったです。学芸大は教育大学だから単位をクリアすれば免許は取れるわけだけど、普通の企業に就職する人もいますからね。ただ両親は「教員採用試験だけは必ず受けるように」と繰り返し言っていたから、いずれは美術の教師になると思っていたかもしれない。「地元に戻ってきて教師になれ」みたいな話を、父親がしてた気もするし。

――教育実習にも行かれたんですよね。

 大学3年の時かな。学芸大附属大泉中学校に3週間行きました。生徒たちには“変なキャラ扱い”されましたけど。

――“変なキャラ扱い”?

 スーツなのに革靴じゃなくてアディダスのスニーカーを履いてたし、すぐにくだらないことを言うし、もみあげは長いし、目つきは変でちょっとやさぐれている感じもあったと思うんですよ。だから「なんだこいつ?」みたいな感じで見てたんじゃないかな。で、ある昼休み、音楽室でギターを弾いて時間を潰していたら、生徒が二人来て「先生、何してんだよ」って。「1曲、聴かしてやるよ」と言って“♪ほら チェルシー もひとつ チェルシー♪”って歌ったら「やべー! ライブだ、ライブ! 先生、ちょっとここで待ってて」ってすごい勢いで一人が飛び出していった。で、あとから呼ばれて教室に行ったら、机が綺麗に後ろに片付けられていて、黒板に大きな文字で“チェルシー来日!”って(笑)。「じゃあ歌いますか」とそこでまた歌って、「みんなも一緒に」と声をかけて何度か繰り返したら、最後は大合唱でした。それ以来、生徒たちから“チェルシー”って呼ばれるようになったんですよ。僕も「おもしろいな、こいつら」と思ってね。音楽室を飛び出していった生徒とはいまだに付き合いがありますね。向こうももうすっかりおじさんですけど。

――教壇とステージには共通するものがあるように思えます。教えることの楽しさに目覚めたりはしなかったんですか。

 教育実習の最後に授業をやった時に、ステージに立つ感覚とちょっと似てるなーとは思いましたね。自分が習ってきたことや自分の想いを語りかけるおもしろさも感じたし。僕の指導教官だった先生も評価してくれて、いい成績をくれました。ただ、教師になりたいとは全然思わなかったですね。

(チェルシーと呼ばれた頃のスーツ姿)


インタビュー : 木村由理江