20. 東京学芸大学のJAZZ研で音楽理論を叩き込まれる

――1985年、浜崎さんは東京学芸大学に進学します。その秋に加藤さんとFLYING KIDSを結成するわけですが、東京学芸大学でも音楽活動をしているんですよね。

 入学してすぐ、4月だったと思いますけど、ポップス系のロックバンドがいくつもいる学内の音楽サークルに試しに入ってみたんですよ。いかにも大学のサークル的なノリのいい雰囲気で、「これは違うわ」と速攻でやめました。しばらくは月1くらいで加藤と会って音楽の話をしたり、たまに加藤の絡みで東京造形大学の音楽サークル・重音に顔を出したりしてたのかな。秋に加藤とFLYING KIDSを結成してからは、もうFLYING KIDS1本でいいやと思ってました。そしたら大学2年生になったある日、学内にJAZZ研[正式名称:東京学芸大学軽音楽部]があると知りまして。どんな雰囲気かちょっと覗いてみようと部室を訪ねたら、ものすごい広い敷地を持つ東京学芸大学の端っこにある木造の掘立て小屋だったんですよ。

――“掘立て小屋”?

 古い木造建築ですね。以前は床屋さんが入っていたそうなんですが、その床屋さんが大学の敷地内の別の場所に移った時にJAZZ研が占拠して部室にし、スタジオにしてしまったんですね。スタジオにはドラムとかアンプとか必要な機材がずらりと並んでいて、24時間誰かがセッションしていることにも驚いたし、みんな、ものすごいテクニックの持ち主でめちゃくちゃ上手いのにも驚きました。ファンクやフュージョンのバンドもいましたから、ジャズはもちろん黒人音楽全般について勉強をするにはよさそうだと思ったし、おもしろそうなキャラの先輩がいっぱいいたのでちょっと一人で盛り上がっちゃったんですよ。それでFLYING KIDSとJAZZ研の並走でいくことにしたんです。

――見学に行ったその日に入部ですか。

 入っちゃいましたねー。先輩後輩の縦社会も若干あったし、音楽理論の基本からコンサート企画のノウハウまで、1年生の時からステップを踏んで勉強していかなきゃいけないという決まりみたいなものがあったんですけど、僕は新入生ではなく2年生から入りましたから、立ち位置はかなり微妙でしたね。その上態度もでかかったし・・(苦笑)。でも先輩たちにかわいがってもらって、ちょっと特別扱いされて過ごしてました。学年が一つ上の先輩に大学時代にスクエアに加入するベーシストの須藤満さんがいたり、さらに上の先輩にのちに東京スカパラダイスオーケストラに参加する北原雅彦さんがいたり、僕がソロになった頃にバンドでピアノを弾いてくれた堺敦夫さんがいたり、今、スカパラにいるNARGO(名古屋君義さん)や、一時期ばちかぶりのメンバーだった武田和大くんがあとから入ってきたり。のちにプロになる人たちもたくさんいるようなサークルでしたね。

――大学の授業よりジャズが大事、という人たちばかりだったんですね。

 そう。とにかくずーっと部室でセッションしてるし、合宿みたいなものに参加すると勉強会でみっちり音楽理論を叩き込まれる。大変だったけどそこで学んだことは非常にプラスになったし、いまだに生きてます。JAZZ研で最初に教わったジャズやブルースのコード進行は、今でも僕の曲作りのベースになってますからね。

(東京学芸大学・軽音楽部のライブの模様。当時組んでいたバンドのベースの山口真さんと。)


インタビュー : 木村由理江