16. 原宿クロコダイルで動員記録を作る

――『イカ天』で勝ち抜くたびにもらえた賞金の10万円はどう使っていたんですか。

 一人1万円ずつもらって、残り3万円はバンド資金にしていました。番組の帰りにみんなで焼肉を食べたこともありましたね。中園さんに5万円借りていた僕は、勝ち抜くたびに1万円返して完済しました。

――初代グランドイカ天キングを目前にした3月30日、FLYING KIDSは原宿クロコダイルで動員記録を作っています。7人体制になって3回目のライブです。

 3マンのライブでしたね。あの日のことはよく憶えています。自分たちのリハーサルが終わったあと、ビクターレコードのディレクターで『イカ天』の在宅審査員でもあった大友光悦さんに「ちょっとお茶でも飲みにいきませんか?」と誘われたんですよ。大友さんはイカ天キングになって最初に連絡をくれた音楽業界の人で、初対面のその日、リハーサルから観てくれていた。メンバー全員だったか、僕とフセマンの二人だけだったか定かじゃないけど、大友さんと一緒に近所の喫茶店に向かおうと階段を上ってクロコダイルの外に出たら、道沿いにお客さんがずーっと並んでいるんですよ。対バンする今日のバンドは人気があるんだなーと思っていたけど、実はそれが全部、僕らのお客さんだったという。あとからそれを知って、本当にびっくりしました。

――喫茶店に向かう道すがら熱い視線は感じなかったんですか。

 やけに見られているなーとは思ってました。ひょっとして? と思わなくもなかったけど「いやいやいや」と打ち消してましたね。そもそも自分たちのライブに来たお客さんをそんなにたくさん目にすること自体が初めてだったし、ジロジロ見られることにも慣れてませんでしたから。

――出番は何番目でした?

 確か2番目でしたね。僕らを観に来たお客さん全員を入れるために、前のバンドの時に使っていた椅子とテーブルを、お客さんの手も借りながら階段づたいに店の外に運び出し、ぎゅうぎゅうになりながら大盛り上がりのライブをやった記憶があります。スガシカオくんとかICEの宮内和之さんとか、いろんなミュージシャンが観に来てたみたいですね。

――たくさんの人が自分たちの音楽で盛り上がっている様子をステージから見て、何か感慨のようなものはありましたか。

 どうだったかなあ。嬉しかったのは確かだけど、感慨となると・・。自分たちのやっていることに自信があったし、これまでの日本の音楽シーンになかったことをやっているんだ、何かを変えていく役割を果たせているんだという実感がありましたから、“評価”みたいなものは少しも怖くなかったし、気にもしてなかったんですよ。

それより、ライブのあとにクロコダイル店長の西(哲也)さんと精算を終えて戻ってきたフセマンが、「こんなにお金をもらった!」ってちょっと厚めの封筒を見せたことの方をよく憶えているかもしれない(笑)。その日はお目当てのバンドを申告して入場するシステムで、FLYING KIDSのお客さんが300人近くいたんですよ。それまで思いっきり友達を呼んでも自分たちのお客さんは20人くらいだったから、バックチャージを受け取るのはその時が初めて。30万円くらいだったのかな。今にして思えばそれほどの金額でもないんでしょうけど、若かったし、ライブで初めて稼いだお金だということもあって「やったー!」と、みんなで盛り上がった記憶があります。それまではフセマンのカローラⅡを機材車代わりにしてたんですが、そのお金で機材車を買いましたね。

――グランドイカ天キングの賞品は、音源とPVの制作でした。

 『あれの歌』をアミューズスタジオでレコーディングし、PVも撮ってもらいました。プロデューサーは萩原健太さんで、僕らがプリプロをしていた高円寺のスタジオに来てくれて、「ここはこうしよう」とかいろいろアドバイスしてくれましたね。

(相原勇さんと日本青年館ホールでのイカ天イベントにて)


インタビュー : 木村由理江