133.改めて振り返る初期10年と解散のこと
――結成から解散までの初期の10年を振り返って思うのはどんなことですか。
FLYING KIDSのオリジナルメンバーは今も変わらず“偉大なるアマチュアリズム”を持ち続けている人が多いんですが、あの10年で僕が“プロとして多くの人に喜んでもらえる音楽を作り、聴かせ、演奏するとはどういうことか”ということを学んだのは確かです。あの7人のFLYING KIDSでやれることは全部やれた、とも思います。ホールクラスのツアーを組めたし、いまだに聴いてくれる人がいるわけですから。メンバーがそれぞれのエネルギーをちゃんと発揮できてバンドとしてもフルに機能できたからこそ、ひとつの終わりを迎えたとも言える気がします。僕自身、どこかでFLYING KIDSの活動のペースや“FLYING KIDSのポップスとは何か”を追求する創作が毎日続くことに限界を感じていたと思うんですよ。解散前年の97年、事務所のスタジオでプリプロをした帰り道、フセマンに「音楽は自然に生み出されるもののはずなのに、どうしてこんなに毎日悶々としながら、絞り出すように音楽を作らなきゃいけないんだ」ってこぼしたことがあって。作品のイメージや糸口が見えたらメロディと歌詞が一気にできたりするわけですが、そこにたどり着くまでが大変で。大袈裟なようですけど、本当に“命を削る”っているという実感がありました。“こんなことはもう続けられない、FLYING KIDSという乗り物を止めないと次に行けない、というような感覚は、アルバムを作ってた時点ですでにあったんでしょうね。スタジオを休むこともあったくらいですから、僕は間違いなく疲れ果てていたと思います。
――潮時、だったということでしょうか。それを逃すと、もう2度と元に戻れない関係や状況になってしまうことがありますものね。
確かにあの時に解散したからこそ、今、また一緒にやれているのは間違いないですね。それを導いたのは自分たち自身ですけど。当時の“もっとこうすればよかった”を生かして、今は活動しています。
今回、当時の出来事を改めて時系列で見て、あっという間に解散が決まったことに本当に驚きました。解散の口火を切ったのは僕でしたけど、のちに他のメンバーや事務所のスタッフがそれぞれにいろんな局面を迎え、もう活動を続けられない人がいたということもわかってくるんですよ。だからバンド内の仲違いや、モチベーションのばらつきとか、目に見えないひび割れのようなものがどこかで進んでいたんでしょうね。デビューして8年が経ち、バンドとしての新鮮さも失われ、時代ともずれ始めていたのを必死に修正しようともがいてもいた時期でもあったのかな。『ディスカバリー』が売れたと言ってもメガヒットではなく、頑張ってくれたスタッフの期待にも十分に応えられなかったもどかしさや挫折感もどこかにあっただろうし・・。そんな中、新たな体制で『Down to Earth』を作りながらも「なんかうまくいかねーなー」というのを引きずってたのかもしれないし・・。あの時の解散は、FLYING KIDSという集団の一つの運命(さだめ)だった、と今は断言できますね。

(メジャーデビューした後に掲載された雑誌の切り抜き。)
インタビュー : 木村由理江

