24. 教員採用試験当日に「これは絶対に無理だ」と確信

――“将来は音楽で”という浜崎さんの本心を、ご両親はいつ知ったんですか。

 大学4年になったばかりの頃ですね。東京に出てきた母親と上野の喫茶店でランチをしていた時に、「僕は就職せずに音楽家になろうと思います」と伝えました。「3兄弟の中でお前だけオルガン教室に通わせなかった。だからなれるはずがない」と言われて「大丈夫です、なりますから」と返した記憶があります。母親は途方に暮れた顔をしてたけど否定的な感情が強かったわけではなくて、「お父さんに話してみる。お父さんがいいって言ったら私は別に構わないけど」みたいな感じだった気がする。で、母親から話を聞いた父親が速攻で怒り心頭の電話をかけてきて「ふざけるな! 何を考えてるんだ! 就職しろ! 教員採用試験を受けろ!」みたいな(苦笑)。 

――で、教員採用試験は受けたんですか。

 両親がしつこいから一応(東京都に)願書は出しましたけど、とにかくやる気が出ないんですよ。生協かどこかで買ってきた教員採用試験のための分厚いテキストもほとんど開かず。で、当日試験に出た「円を描け」という数学か何かの問題で、円が描けなかったんですね(苦笑)。多分、図形を描く問題が出るから三角定規やコンパスを用意してくるようにという注意書きが、どこかにあったんでしょう。でもそれを読まなかったのか、読んだけど「なんとかなる」と思ったのか・・。その時点で「絶対に合格は無理だ」と確信したし、案の定、落ちました。そこからの両親の「就職しろ!」プレッシャーがまたものすごくて。「面倒くさいなー、どうしようかなー」とぼんやり考えていたら、ある日、美術科の先輩が「就職が決まってないならうちの会社の面接を受けてみろ」って。それで受けてみることにしたんですよ。その話をすれば両親も少しは静かになってくれるだろうと思って。

――その面接で、就職が内定しちゃうんですよね。

 「バウハウスについて話してください」みたいな質問もありましたけど、「どんな本を持ってますか」と訊かれた時に「『手塚治虫漫画全集』(講談社刊 全400巻)は全部持っています」って答えたら「おおっ!」て。多分それが決め手だったんだと思います。(株)コミュニケーション・デザイニングという、いろんな企業のイメージをプランニングする会社でした。両親も「よかったね」と喜んでくれましたね。

――それなのに・・。

 そう。なのに『イカ天』に出始めちゃったんですね。両親には自分で言ったんじゃないかな、「今度、バンドでテレビに出ます」って。びっくりしたと思いますよ。

――内定を出した会社の人も、驚いていたでしょうね。

 面接した時にはただの学生だったのに、入社の時にはすっかり有名になっちゃってましたからね。初出社の日も会社で挨拶をしたら「きみ、テレビに出てたよね」とか「イカ天キングだ」と声をかけられました。先輩に連れられて他の新入社員5人くらいと一緒に行った取引先への挨拶回りでも、行く先々で「あっ!」って驚かれたりおもしろがられたり。僕は普通に「あ、どうも、よろしくお願いしまーす」と応えてましたけど、周りはすごく盛り上がってましたね。

(まだサラリーマンをやっていた頃の雑誌記事。当時、会社の昼休みや、会社が終わった後、取材を受けたりしていました。)


インタビュー : 木村由理江