18. 本当の意味でのFLYING KIDSの始まり
――井上陽水さんの『傘がない』のカバーで自分たちの目指している音楽の輪郭に触れられたFLYING KIDS。そのあとにできたのが『ちゅるちゅるベイビー』なんですね。
『ちゅるちゅるベイビー』を作ったのは、メンバーがマイルス・デイビスの“エレクトリック・バンド”にハマっていた時期でしたね。日本のポップスにはない分数コードなんかを使いながら日本語の歌にするというチャレンジに、精力的に取り組んでいた中で出来上がった曲です。ベースラインは本当にすごいし、「こんなコード進行の曲をやってるアマチュアバンドは他にいないだろうな」、「なんかとんでもないもないバンドになりつつあるなー」と、作りながらワクワクしていました。FLYING KIDSのサウンドが完成しつつある、全開まであと一息だと感じてました。
――全開になったと実感した曲は?
『我思うゆえに我あり』です。フセマンが持ってきたベースラインを元にみんなでセッションしていた時に、「ちょっとディスコっぽい感じを取り入れたらいいんじゃないか」、「それならシックを参考にしてみよう」というアイディアが出たんですよ。シックの曲はそもそもベースラインがすごくかっこよくて、それを繰り返しながらその上に載せるコードをどんどん変化させていくという構造になっている。同じようにフセマンが弾くベースラインに、加藤や飯野さんや丸山さんがコードを変化させながらうまく載せて曲の原型を作りました。セッションしながらそこに言葉とメロディを自由にはめ込もうとしていた時に、“我思うゆえに我あり”のような音楽にはなりにくい哲学用語を歌にしてみよう、というビジョンが突然、僕の中に湧いてきて・・。そこからAメロ、そして冒頭の“シャラララ”と歌うあたりと、次々と歌詞やメロディが思い浮かんでいったんですよ。歌詞と曲が別々に進んで、あとから組み合わせたところもあった気はしますけどね。“ファンク”という装いに日本語をどう組み合わせていくか、というコンセプトが僕の中で閃いたのも、その時だった気がします。
――なるほど。
僕は元々シャウター願望が強いので、自分のメッセージをぶちまけるのに“ファンク”というジャンルの音楽がもってこいだったんでしょうね。何かを叫びたい、何かを訴えたいという僕の精神的な欲求と、FLYING KIDSのメンバーが持っているジャズフュージョン的な、またブラックミュージック的な要素がうまい具合に合わさったんだと思います。『我思うゆえに我あり』が出来た時は、言葉で表現するのはちょっと難しいですけど、「わかった!」という感覚がありました。曲作りについて、目を開かされたというか。本当の意味でFLYING KIDSが始まったのは、『我思うゆえに我あり』が完成した時だと思う。
――それはいつですか。
イカ天に出る前年の12月くらい。年明けに『幸せであるように』が出来て、これは間違いなく自分が思い描いていた“破壊的でありポップであるという世界だな”と確信しました。
( 雑誌に掲載されたデビュー当時のFLYING KIDS )
インタビュー : 木村由理江