1. 音楽との出会い

――最初に衝撃を受けた音楽との出会いを教えてください。

 兄貴が先輩から借りてきたザ・ビートルズの『イエスタディ』(1965年)です。それを兄貴がポータブルプレイヤーでかけた時に「なんだ、これ!?」ってすごくびっくりしたんですよ。その直後くらいにNHK-FMで渋谷陽一さんがやっていた番組で、確か『若いこだま』だったと思うけど、亡くなられた松村雄策さんとやった“ビートルズ特集”の1曲目に『エニータイム・アット・オール』が流れた時も「なんだこのシャウト! すげえな!」、「こんなかっこいい音楽があるんだ!」って。あの衝撃は一生忘れないでしょうね。よく考えると、いまだにそれだけっていう感じもします、「かっちょいいやつ、やりてえ!」みたいな(笑)。

――いくつの時ですか。

確か小学校3年生くらいだったはず。小学校5年生だった二つ上の兄貴が先輩の6年生から借りてきたんですよ。

――お兄さん、ちょっと早熟ですね。洋楽好きな従兄弟でもいたんですか。

 兄貴はそこらへん、ちょっと進んでいたんですよ。洋楽好きな従兄弟もおじさんもいなかったから、何がきっかけで兄貴が音楽に興味を持ったかは、正直謎です。兄貴は、初代『ウルトラマン』(1966~1967)にガツンと衝撃を受けた世代だから、サブカルチャーに対する興味は強かったのかもしれない。それで『イエスタディ』を借りてくる少し前から“ロック”に興味を持ち始め、洋楽がかかるラジオやテレビから意識的に情報を得ていたんじゃないかな。僕も『ぎんざNOW!』(1972年~1979年)でキッスとかベイシティローラーズを知ったし、一緒の部屋だった兄貴を通じてクイーンとかも聴いていて“ロックっておもしろいな”と思ってました。ただ衝撃は受けなかった。『イエスタディ』をきっかけに兄がビートルズのLPをどんどん買ってくるようになって、それをよく一緒に聴いていました。

――その後、浜崎さんは本格的にブリティッシュ・ロックを聴くようになるわけですね。

 きっかけは中学1年生の時に幼なじみで同級生の修(下倉修)くんの部屋で見たレッド・ツェッペリンのポスターでしたね。どんなバンドなんだろう? どんな音楽なんだろう? って興味が湧いた。兄貴がレッド・ツェッペリンをよく知らなかったことも、僕には大きかったですね。それで「ロックをもっと勉強しよう」と、町の図書館から有名なロックのレコードを片っぱしから借りてきて聴いたりもしました。例えば エアロスミスとかボブ・ディランとか。日本だと岡林信康さんかな。ピンと来たのはエアロスミスくらいでしたけどね。ラジオもよく聴いてましたよ。とくに渋谷陽一さんの『サウンドストリート』とNHK-FMの『軽音楽をあなたに』。僕が14歳の時に初めて自分で買ったLPはフォリナーの『ヘッドゲームズ』(1979)ですけど、それを知ったのも『サウンドストリート』でしたから。小林克也さんの『ベストヒットUSA』や小室等さんの『Pioneerステレオ音楽館』も毎週必ず観てました。高校生くらいになるとピーター・バラカンさんの『THE POPPER’S MTV』とかも聴き始め・・。洋楽が紹介される番組は欠かさずチェックしてました。

――どんなところがブリティッシュ・ロックの魅力だったのでしょう?

 今にして思うと“なんちゃって感”だと思います。ミック・ジャガーも、黒人のブルース・シンガーたちやその影響を強く受けたジェームズ・ブラウンなんかのスタイルを取り入れている。そういう“本物のリズム&ブルース”じゃなくて“なんちゃってリズム&ブルース”のほうが、僕にとっては不思議な魅力があったし、入りやすかったんですよ。いまだにそういうところはありますね、すべてにおいて、というわけではないけど。

もうひとつは、ファッション性と反体制的かつロック的な態度の融合でしょうね。兄貴が購読していた『ミュージック・ライフ』を読むとクイーンやキッスより、そのあとに出てきたセックス・ピストルズやザ・クラッシュなんかの方が断然ファッショナブルでかっちょよかった。そのうち“2トーン”とか言ってザ・スペシャルズなんかが出てくると「スーツを着てロック的な態度でいるってめちゃくちゃイカしてるなー」って。そういう見栄を切ってるような音楽を、次から次へと探しては聴いていたようなところがありましたね。


インタビュー : 木村由理江