31.初ワンマンのパワステはギリギリの体調だった
――番組出演以前は2本しかライブをやっていなかったFLYING KIDSは、初代グランドイカ天キングになった途端、次々とイベントに出ていきます。 秋にはメンバー5人の母校の東京造形大学と飯野竜彦さんの母校の多摩美術大学 […]
30.「イカ天」とFLYING KIDS
30.「イカ天」とFLYING KIDS ――1年8ヶ月の放映期間に多くのバンドを輩出し、大きなブームを起こした「イカ天」。「イカ天」とは何だったと思いますか。 “バンドブームの総括”だったと思います。「イカ天」の番組 […]
29.長いものには巻かれておけ
――状況が動き始めたのはいつ頃ですか。 僕は会社にはもう行ってなかったから9月に入っていたと思うんですけど、フセマンと2人で『名曲アルバム』の印税契約のことでアミューズに行ったんですよ。せっかくだから「イカ天」のプロデ […]
28.小泉今日子さんとクノールカップスープのCMで共演
――マネージメント会社がなかなか決まらないことに浜崎さんが焦りを感じたりは? どうだったかな。結構忙しかったですからねー。夜になるとビクターの大友さんが押さえてくれた、ビクタースタジオ3階の小さなリハーサルスタジオに集 […]
27.履いていたジャージを観客の女の子たちにひっぱられる
――FLYING KIDSのデビューは1990年4月10日。初代グランドイカ天キングになった1989年4月8日からほぼ1年後です。 事務所が決まるまでに時間がかかったんですよ。「イカ天」に出た僕らに最初に連絡をくれて、 […]
26.サラリーマンかミュージシャンか
――肝心の仕事は、どうだったんですか。 新入社員ですから、やってることは基本的には下働きです。コピーをとる、企画書のコピーとってホチキスでまとめる、クライアントに渡した企画書に誤字が見つかったら、正しい文字をいくつも印 […]
25.魅力的だったサラリーマン生活
――サラリーマン時代はスーツにネクタイ姿ですか。 典型的なサラリーマンという感じで、毎日紺のスーツを着て出社していました。スーツは成人式の時と就職祝いに両親に買ってもらったに2着しか持っていなかったはずだから、その2着 […]
24. 教員採用試験当日に「これは絶対に無理だ」と確信
――“将来は音楽で”という浜崎さんの本心を、ご両親はいつ知ったんですか。 大学4年になったばかりの頃ですね。東京に出てきた母親と上野の喫茶店でランチをしていた時に、「僕は就職せずに音楽家になろうと思います」と伝えました […]
23. 教育実習では生徒から“チェルシー”と呼ばれていました
――美術系の大学を目指したきっかけはなんだったんですか。 小さい時から僕の描いた絵を見ていた母親が言ったんですよ、「お前は絵が上手いから美大に行ったら?」って。高校1年の最初の美術の授業で「美大志望の人はそのための準備 […]
22.黒人音楽への傾倒とジェームズ・ブラウンの影響
――黒人音楽に興味を持ち始めたきっかけは? よく聴いていたビートルズをはじめとするイギリスのミュージシャンたちはみんな、リズム&ブルースやモータウンが好きだったこと、ポール・ウェラーがジャズ的な要素を作品に導入し始めたこ […]