ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
16. 原宿クロコダイルで動員記録を作る

――『イカ天』で勝ち抜くたびにもらえた賞金の10万円はどう使っていたんですか。  一人1万円ずつもらって、残り3万円はバンド資金にしていました。番組の帰りにみんなで焼肉を食べたこともありましたね。中園さんに5万円借りてい […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
15. “初代グランドイカ天キング”の舞台裏

――『イカ天』にFLYING KIDSが初めて登場したのは1989年3月4日。日比谷シャンテの生放送のスタジオで、『我思うゆえに我あり』の演奏ビデオが流れるのをみんなで観ていたんですね。  その時のチャンピオンのGENに […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
14. 『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』出演

――『イカ天』出演の話は、どこから舞い込んだんですか。7人体制で初めてやった10月のサウンドハウスのライブに、『イカ天』の立ち上げから関わり、出演するバンドを見つけ出してお世話をする“バンドストック事務局”の事務局長だっ […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
13.  7人体制で初めてのライブ

――テープオーディションを受けたのは新宿サウンドハウスと原宿クロコダイルとのことでしたが、何か狙いがあったんですか。  とくにないと思います。当時サウンドハウスに籍を置いていた松原みきさんのバンドで丸山さんがギターを弾い […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
12. 7人体制のFLYING KIDS始動

 ――FLYING KIDSのオリジナルメンバー7人が揃った1988年2月は、『イカ天』出演の約1年前です。メンバーは揃ったものの4月以降、学生は浜崎さんだけ。  飯野さんは映像製作会社でディレクターをしていて、音楽も任 […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
11. FLYING KIDSのオリジナルメンバー7人が揃う

――まだ名前が出てきてないベースの伏島和雄さんとはいつ知り合ったんですか。  フセマンは重音の部長で、加藤がギターを弾いてたバックウォーターのメンバーでしたから、かなり早い段階で知り合っていたはずです。加藤の絡みで僕はバ […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
10. FLYING KIDS結成

――FLYING KIDSの結成は、浜崎さんが大学1年生の時です。  1985年の10月頃でしたね。加藤(英彦)が住んでいた高尾のアパートで、「バンドやろうよ」という話になって「じゃあ」って。県立宇都宮東高校の同級生だっ […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
9. 絵を描く目、ものを見る目

――絵を描く人は“ものを見る目”が優れていると私は思っているんですが、絵を描くことは浜崎さんの作品作りにどんな影響を与えていますか。  影響がないとは言えないと思いますけど、“絵の才能”を自分自身で強く感じていたわけでは […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
8. 絵と漫画も好きだった少年時代

――浜崎さんは絵を描くのも子どもの頃から得意だったんですよね。  得意というか、好きでしたね。絵で賞をもらったり、人に褒めてもらうこともなかったわけじゃないけど、自分で自分の絵はいいと思っていたし、絵も漫画も、描くのは本 […]

続きを読む
ハマミチ ~ “浜崎貴司” ができるまで
7. 高校時代の出会いとバンド活動

――FLYING KIDSのギタリストの加藤英彦さんと浜崎さんが出会ったのは、栃木県立宇都宮東高校時代です。 通学途中で初めて加藤を見かけた時は、“めちゃイケメンがいるなー”と思いましたね。僕の家は宇都宮の田舎だったけど […]

続きを読む