150. 楽曲『俺はまたいつかいなくなるから』で長い模索から抜け出す
――ソロ2枚目のアルバム『俺はまたいつかいなくなるから』の発売は2001年6月2日。タイトル曲が1曲目です。
この曲が完成した時に、ずっと感じていた「これじゃないんだよなー」からやっと脱け出せました。「ついに自分にしか書けない歌詞の世界を掴めた」、「もっと極めたい思えるサウンドに辿り着けた」と嬉しかったです。
――「自分にしか描けない歌詞」というのは? 当時の会報には「2000年6月5日 「『俺はまた・・』の歌詞が完成」とあります。アルバム発売の約1年前です。
(移籍による)活動制限期間中は、マンションのベランダで昼夜問わずぼんやりしちゃうようなところから始まって、いろんなことを考えました。立場や肩書きのようなものを失って裸になった自分に一体何ができるのかとか、自分とはなんぞやみたいなこととか。何があって自分は今、こんな状況に陥っているのかと、過去を振り返ったりもしたし、「後悔したら負けだ」と葛藤もしたし。あんなに“孤独”を感じたのは生まれて初めてでしたね。でも「この孤独から逃げたりせず、しっかり受け止めてこそ“次”に進めるはずだ」と覚悟を決めて向き合いました。家出するみたいにふらりと旅に出て、気がついたら北海道の釧路にたどり着いていたのもその頃です。そうして得たのが「孤独を解消してくれるのは人との繋がりだ」という結論でした。やっと自分の明確な想いを見い出せた、それを素直に言葉にできた、ととても嬉しかったです。
――“素直に言葉にできた”? それまではできていなかったんですか。
“FLYING KIDS”というプロジェクトが大きくなるにつれて、自分の本当の想いより“売れるものを作る”が優先になって、テクニックを駆使することが常態化し、それに囚われていたというか。ソロになった直後に一緒に音楽制作をしていた紀里谷和明さんにも、そこは何度も指摘されました。自分でもわかってはいたんですけど、なかなか・・。THE BACK HORNのアルバムを共同プロデュースして、彼らの初期衝動で突っ走る姿勢に触れたのも大きかったですね。この歌詞を仕上げた時に、「やっとリセットできた」と安堵しました。
――タイトルのインパクトが強いですよね。ちょっと心配になるくらいに。
「暗い」とか「自虐的だ」とかよく言われた気がしますけど、僕はネガティヴなフレーズとは思ってなくて。誰もがいつかはいなくなるし、もちろん自分も例外ではない。「だからこそその前に何かを残さなければならない」という決意の方が強かったので。
――「もっと極めたいと思えるサウンド」についても教えてください。
僕自身、ジャズやリズム&ブルースとロックが出会うような音楽を模索してはいたんですが、明確には見えていなかった。でもこの曲がシャッフルビートのピアノロックとも呼べるサウンドに落ち着いた時に、「これだ!」と。メンバーに何か伝えた記憶はないから、僕の求めているものを彼らが感じ取ってくれたんでしょうね。コーラスのハーモニー以外のフェイクは全部石山理恵さんのアドリブだったはずだし、センスのよさが光る、山田裕之くんと波田野哲也くんのリズムも気持ちがいい。でも一番大きいのは堺敦生さんの存在でしょうね。僕の歌い手としてのポテンシャルを堺さんのピアノがものすごく引き出してくれたんですよ。僕の中では珍しい、マイナーなのに力が漲っている曲にもなったのもそのおかげでしょうね。みんなで「せーの」でレコーディングして、ほぼ一発OKだったはずです。

(2001年に事務所を移籍した時の宣材写真。場所は事務所のあった原宿ん裏通りにて。)
インタビュー : 木村由理江

