149. 自分が何を目標にするべきかを自覚させてくれた清志郎さんの言葉

――“充電シスギ”の直後、(忌野)清志郎さんのRUFFY TAFFYツアー“マジカデ・ミル・スター・ツアー”の渋谷・屋根裏のライブ(11月28日)にオープニングアクトとして高野寛さんと登場しています。“ビューティボーイズ”改め“35、6(さんじゅうご、ろく)”というユニット名でした。

二人で4曲(『レッドニャンニャン』、『汚れた顔でこんにちは』、『大切な君のもの』(清志郎さんと高野さんによる未発表曲)、『君が僕を知ってる』)やりましたね。その打ち上げの席で清志郎さんが「ハマちゃん、(移籍問題で)いろいろ大変らしいね。アレだったらRUFFY TAFFYのツアー、どこでもいいから来な」と言ってくれまして。それで12月4日の神戸・チキンジョージのライブにギターを抱えて一人で行ったら「本当に来たのかね」って笑顔で歓迎してくれました。その時はオープニングアクトで『どんな気持ちだい?』、『汚れた顔でこんにちは』、『君が僕を知ってる』、『呼吸のしるし』を弾き語りでやって、本編の『ユーモア』にもコーラスとギターで参加させてもらいました。その日、清志郎さんが「ハマちゃん、もっと人を元気にさせる曲を歌わなきゃダメだよ」と言ってくれたんですが、その言葉は、ずーっと心に残っています。カラフルなメイクと派手な衣装で「イエイ!」と叫ぶ清志郎さんの姿はエンターテインメントそのもの。みんなを元気づけようとしてたんですよね。自分が何を目標にするべきなのか、その時にはっきり自覚しました。

――神戸に行った時には、すでに2001年1月から放映する出演ドラマ『お前の諭吉が泣いている』(テレビ朝日系)の撮影が始まっていたようですね。

そうです。でも正直、どこかに“迷い”のようなものもあったんです。そしたら清志郎さんが「やればいいじゃん」って。胸のつかえも取れたし、ケツも叩いてもらいました。「ああ、やっぱり来てよかった」と思いましたね。ただライブ中に清志郎さんが「ハマちゃんは今度ドラマに出る」って大きな声で言っちゃいまして。まだ発表前だったので「それ、言っちゃダメなやつー」と慌てました(苦笑)。

このドラマの出演は、脚本家を担当した遊川和彦さん(『もしも願いが叶うなら』(1994年)、『智子と知子』(1997年)も遊川作品)の推薦です。移籍はしたもののその時点でまだ僕は何も稼いでいませんでしたから、仕事で事務所に貢献したいと思っていた時期でした。他にはビールのCMのナレーションをやったりとか。一方で、小さなライブハウスを中心にしたRUFFY TAFFYのツアーを何度か観て、自分ももっとライブをやらなきゃ、曲を作らなきゃという気持ちが高まってもいました。

――ドラマ撮影と並行して、バンドのメンバーとアルバムに収録する曲のセッションをしていたようです。

メンバーとのセッションを通して「今までと違う音楽ができそうだ」という手応えを感じていたので、自分で作って完成させていたデモテープではなく新たに作ったシンプルな弾き語りの音源を渡して、セッションを繰り返すことでみんなでアレンジを固めていました。そういう時間を事務所がとってくれたのはとてもありがたかったです。2000年12月30日には、そのメンバーで初めてステージにも立ちましたね。本格的なレコーディングはドラマ撮影終了後の3月上旬から。初日からマスタリングまで10日弱でした。

(竹中直人さん監督映画「サヨナラCOLOR」のロケ現場で忌野清志郎さんと。撮影は斉藤和義さん。)


インタビュー : 木村由理江