108.“暗い影”が、忍び足で
――お話を聞いていると、アルバム『HOME TOWN』のレコーディングのイニシアティブは浜崎さんが握っていたように思えますが、どうですか。
この頃にはメンバーでデモテープを出し合うシステムがなくなりつつあって、ディレクターの安藤さんと僕が密に話して曲を作ったり、みんなで作業する時も曲のきっかけは僕が作ることが多かったですね。メンバーはそれぞれに思うこともあったでしょうけど、僕も含めてメンバーはいろんな意味でいっぱいいっぱいでしたから“バンドのエンジンである浜崎がFLYING KIDSを進化させようと投げかけてくる新たな曲のイメージをいかに形にするか”という態勢になってくれていたんだと思います。その時点でFLYING KIDSは“バンド”というよりメンバー以外の人たちも含めた“プロジェクト”になっていましたから、誰も“我”を押し通せなくなっていた気がします。
ーー『ガードレールにもたれて』の時にも少しお話しされていましたけど、1998年の“解散”につながる綻びのようなものは、この時期に生まれていたのかもしれないですね。
僕自身が疲れ果てていたのと、自分がハンドルを握っているのに、FLYING KIDSが目指しているのとちょっと違うところに行ってしまっていたり、それがわかっているのに修正できない状況に陥っていたりしたわけですからね。全体として“暗い影”みたいなものが混じり始めた最初の頃ではあったと思います。経済的な状況はすごくよかったはずですけど、内面では少しずつ崩壊が始まっていたということでしょうね。
――アルバムが出た3週間後の11月22日に『Christmas Lovers』と『バンバンバン』のカヴァーが両A面で発売されます。
『バンバンバン』は当時メジャーリーグで活躍していた野茂英雄さんが出る缶コーヒーのCM(キリンジャイブ)で流れた曲ですね。野茂さんは大好きでしたから、なんとかいいものにしたいと力が入りました。ロック色が強いのは“メジャーリーグ=アメリカ”を意識したから。音の抜けもいいし、CMにもすごくハマってました。メディアに露出していくチャンスが増え、FLYING KIDSの名前はさらに広まり、ライヴのお客さんもますます増えていった時期です。野茂さんのトルネード投法から名前をいただいた“トルネードツアー”では、この曲をメインで演奏して、すごく盛り上がりましたね。
アルバム『HOME TOWN』と同時期にレコーディングした曲ですけど、アルバムの世界観からズレているしカヴァー曲だからという理由で収録はしませんでした。
――“トルネードツアー”(全国8ヶ所全10本)は12月18日から始まっています。7月末まで“Refreshツアー”をやり、10月、11月と学園祭にも出て・・。
どんだけライヴをやるんだ! って感じですよね(苦笑)。“トルネードツアー”は、舞台上のセットとか演出にも非常に凝った、ショーアップしたツアーでした。お客さんも喜んでくれていたし、僕も楽しんでいたと思います。冗談も言いながらワイワイやってましたけど、この頃の僕はサウンドチェックにすごくうるさかったんですよ。エンジニアさんにつきっきりで注文をつけていましたから、“面倒臭いミュージシャンだなー”と感じた人もいたでしょうね。今、振り返ると「そんなことよくやってたな」と自分でも思う。でもそれくらいいいものをみなさんに届けたいという熱意に溢れていたということなんですけどね。

(1992年頃、カメラマンの小暮徹さんと。)
インタビュー : 木村由理江