98.みんなでアイディアを出し合うことがアルバム制作の力に

――アルバム『Communication』のレコーディングを振り返って思うのはどんなことですか。

「もう一回一致団結しよう!」とメンバー自身がギアを入れ替えて臨んだレコーディングでしたし、シングル『大きくなったら』以降、楽曲がチャートに入るようになって、タイアップのオファーも次々に来るようになって、ライヴの動員も増えていましたから、みんな、手応えを感じながら取り組んでいましたね。以前から追求していた“FLYING KIDSの新しいポップス”のひとつの完成形も見えつつあったし。事務所もレコード会社もそんな僕らを精力的に支えてくれました。ディレクターの安藤広一さんはバンドを盛り上げるエネルギーをすごく持っている人で、みんなの気分が上がる環境を作ってくれていたし、元々ルースターズのキーボーディストだったこともあっていい音で録音することへの感性も素晴らしくて、エンジニアやスタジオの選定にもとてもこだわってくれました。スタジオの話で思い出しましたけど、このレコーディングでは窓のないスタジオや地下のスタジオはNGにしてもらってましたね。この頃の僕はちょっと神経質になっていて、些細なことで心がネガティヴな方に行きがちだったんですよ。作りたいのはアッパーな作品でしたから、自分を盛り上げることをすごく意識していました。

――神経質になっていた原因はやはり、忙しさのせいですか。

 それもあったでしょうけど、プレッシャーが大きかったんですよ。とにかくいい作品を作って、もっとたくさん聴いて評価してもらって、ライヴにも来てもらいたい。そうやって自分たちのステージを一つ上げなきゃいけない、ビジネスとしてちゃんと利益を出さないといけないと考えてました。それがバンドとメンバー、そして関わってくれているスタッフを守ることだと思ってましたから。それもあって自分に対してもメンバーに対しても厳しさがちょっと増し始めていた気もします。

――曲作りにも支障が出ていたんですか。

 それは大丈夫でした。プロになって何度目かの、クリエイティヴィティに関する能力がすごく上がっていた時期でしたから。アイディアもどんどん溢れて、チャレンジングでポップな曲が次々と生まれてました。忙しかったから、どこで何を作っていたかはよく憶えてないですけどね(苦笑)。久々にアルバムを通して聴いて、焦りながら曲作りやレコーディングをしてたんじゃないかと感じたんですが、それでいてどの楽曲もオリジナリティ溢れる仕上がりになっているのは、曲やアレンジにメンバーの個性的なプレイやアイディアが詰め込まれているから何ですよね。バンドとしても非常に調子がいい時期だったんだと思います。プリプロの段階からコンピューターを使ってみんなでアイディアを出し合いながらアレンジを仕上げていくというスタイルで作ってましたから、仮にその楽曲にミュージシャンとして自分が参加していなくても「自分たちで作った」という自覚が持てたし、そういうことが力になってアルバムが出来上がった気がします。

(当時の友達と飲みに行った時のプライヴェート写真。)


インタビュー : 木村由理江