90.行き詰まりを打開したドラマ初出演
――アルバム『FLYING KIDS』の約3ヶ月後、セレクションアルバム『ザ・バイブル』が出ています。帯には「祝! 天国到達記念盤」の文字が踊っていました。
タイトルをつけたのは僕です。選曲はメンバーでしたはずですけどどんな経緯だったか・・。『大きくなったら』と『恋の瞬間』でFLYING KIDSに再び注目が集まり始めていましたから、92年に出した三部作、とくに『GOSPEL HOUR』と『DANCE NUMBER ONE』の2枚をもう一度きちんとみなさんに届けたいと、スタッフが考えたんだと思います。「せっかくだから『幸せであるように』をもう一度ここでアピールしたい」と言われて「ライヴヴァージョンなら」と。それがボーナストラックになっています。
マスタリングはバーニー・グランドマンという有名なマスタリング・エンジニアが設立したスタジオの前田康二さんにお願いしました。マイケル・ジャクソン、スティーリー・ダン、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、さらに松任谷由実さんのマスタリングなども手掛ける、高品質な音が人気のスタジオで、L.A.に単身出かけたディレクターの安藤さんが「音がすごくよくなったよー」と感動気味に話していたのを覚えています。
ジャケットのテイストも、このアルバムから変わりましたね。事務所の社長に「ふざけるのもいい加減にして、もっとスタイリッシュなFLYING KIDSを見せていこう」と言われて、デザイナーさんとカメラマンさんを一新しました。このあとに出る『風の吹き抜ける場所へ』の宣伝で新聞の一面広告を仕掛けたり、販促用のTシャツのFLYING KIDSのロゴをカルバン・クラインのおしゃれなロゴのパロディにしたり、みんなが普通に楽しめるおしゃれなイメージへ向かい始めたんです。“バカおしゃれ”もよかったんですけどねー。他のメンバーのことはわからないですけど、僕自身は一抹の寂しさや物足りなさがあったと思います。
――1994年1月7日から放映されたドラマ『もしも願いが叶うなら』で、浜崎さんは初めて役者に挑戦。どんな経緯で出演を決めたのでしょう。
1992年に“天国まであと3歩”シリーズ以降、1993年にアルバム『FLYING KIDS』を作り、9月からツアーをし、シングル『恋の瞬間』をリリースし・・。ずーっと忙しかったから疲れ果てていたし、僕の中にはなんとなく“やりきっちゃった感”があって、次に自分がやるべきことが見えなくなっていたというか。その時に友だちとよく行っていた六本木のスナックのママが珍しく電話をかけてきて「ドラマの話がいくかもしれないから、引き受けてよ」と。お店の常連だったドラマのプロデューサーと脚本家の遊川和彦さんに「浜田雅功さんと中山美穂ちゃんの兄弟役を演じるのにぴったりなちょっと変わったミュージシャンを探してるんだけど・・」と相談されたママが、僕の名前を出してくれたんですね。オーディションみたいなものも一応受けたはずで、出演が決まりました。行き詰まりを感じている今の局面を打開するには、想像もしていなかったことに挑戦するのも必要かなと感じてました。大スターの浜田さんと中山美穂ちゃんに単純に会ってみたいというのもありましたし。まあ“一つのチャンス”と思ってやってみることにしたんです。

(ドラマ「もしも願いが叶うなら」のワンシーン )
インタビュー : 木村由理江