88. 2台の車に乗って各地を回った「ノンストップで行くぜ!!」ツアー
――アルバム『FLYING KIDS』のレコーディング中、スタジオのトイレの個室で涙しそうになったという話の中で「絞り出すように歌詞や曲を書いていた」とおっしゃっていました。どんな状況だったかもう少し教えてください。
必死な想いで作っていたのは三部作の頃からでした。とにかく忙しくて時間がないから肉体的にキツかったということもあります。でも何より作家としての力量がまだまだついてなかったことが一番大きいでしょうね。だから1曲書き終えると息ゼイゼイ。その状態のまますぐに次に取り掛からなくてはいけないわけで、またゼロから自分自身を見つめたりネタを探したり勉強したりして内容を詰めなくてはいけない。期限はどんどん迫ってくるから、精神的にも非常にキツかった。いい作品を作りたい、同世代のミュージシャンが発表する作品に遅れをとりたくない、追い抜かれまいという焦りみたいなものも、あの頃はあった気がします。
――アルバム『FLYING KIDS』を作っていた時に浜崎さんが一番意識していたことはどんなことでしたか。
うーん。“売るぞ!”という意識もあったし、プロのミュージシャンとして作家として、またパフォーマーとしてのクオリティをきちんと高めて、理屈を超えた快楽をクリエイトすることにチャレンジしようとしていたと思います。今までやってないことをやっていこうという気持ちが強かったから、いろんな歌い方にもトライをしていたし。
――今回、改めてアルバム『FLYING KIDS』の全曲を振り返って思うことは?
重要なアルバムでしたね。僕は正直、このアルバムについてはあまり話すことがないだろうなと思っていたので、そうじゃなかったことにびっくりしています(笑)。一番蓋をしていたところだった気がするし、忘れていたことをいろいろ思い出し、新たな発見もできたことで、このアルバムに対する自分の認識が新たになった。こういう道のりを経て今ここにいるのだという自分の人生を、しっかり理解できた気がします。
――アルバム『FLYING KIDS』リリースの3日後から、ツアー「ノンストップで行くぜ!!」がスタート。全国14本です。どんなツアーだったか、印象に残っていることを教えてください。
ライブはみんな大好きですから、割と無邪気に楽しんでいた記憶があります。このツアーは、2台の車にマネージャーとメンバーが乗って、交代で運転しながら全国を回りました。それまでのツアー中の移動は新幹線や飛行機でしたけど、スタッフの提案に「やろうやろう」とみんな大賛成でした。僕自身はアルバム『FLYING KIDS』やツアー中に発売になるシングル『恋の瞬間』のキャンペーンがありましたから、ずっと一緒というわけではなく、現地で合流することも多かったですけどね。『大きくなったら』に続いて『恋の瞬間』もCMで流れて、また新しい動きが始まっていきそうな気配を感じていた時期でもありましたね。

(デビュー前のライブの様子。 )
インタビュー : 木村由理江