79.いろんなことがあったけど、ちゃんと意味はあった
――アルバム『レモネード』のレコーディングに関する記憶は全体的に曖昧ですね。スケジュールと心身の状態がいかにギリギリだったか、伺えます。
最後は、なんとかこの三部作を終わらすぞ! と必死でした。プロデューサーの中村哲さんとマニピュレーターの迫田至さんがアレンジを進めてくれなかったら、予定通りに完成させられたかどうか・・。自信作だった『GOSPEL HOUR』が売れていたらきっと、自分たちの感覚を信じてピュアなまま突き進んでいたと思う。でもそうはならず、『DANCE NUMBER ONE』もさほど話題にならなかった。しかも「イカ天」出身ということで逆風が吹きまくっていたこともあり、3枚目ではブランニューでポップなFLYING KIDSを見せなきゃ、という想いがより一層強くなってしまった・・。そんな僕らに中村さんと迫田さんのチームは“都会的でおしゃれなサウンドのFLYING KIDS”という方向性を示してくれようとしたんでしょうね。僕らにとってはいろんな意味で大きな経験でした。
――“プロデューサーを立てて、FLYING KIDS流のポップスを追求する”という流れを、メンバーはどう受け止めていたんでしょうね。
そこを気にし始めちゃうと全部が止まってしまうので、あまり考えないようにしていました。「任せた、浜ちゃん」と言うメンバーもいたし、「浜崎が言うなら頑張るよ」という態度の人もいたし、腑に落ちないままの人もいたと思います。前にも話しましたけど、アレンジは中村さんと迫田さんのチーム中心で進み、僕らはその作業を見ているだけに近かった。僕はそれなりに中村さんたちとやりとりをしましたけど、今までにないものを作りたいという気持ちが強すぎて、「こうしたい」と強く主張するより中村さんチームの提案を受け入れることが多かった。演奏に関しても、クオリティを求める時代だったこともあって、スタジオミュージシャンにお願いすることが何度かありました。他のバンドのレコーディングでも同じようなことが行われていたのを知っていたから、「多少の犠牲は仕方ない、申し訳ないけど・・」と飲み込んでもらってました。ただ最初のうちはいいとしても、積み重なるとメンバーのダメージも大きくなり・・。メンバーの持ち味や力量を活かしたやり方やいい落とし所を探せたらよかったんでしょうけど、僕も時間に追われていたりして、それができなかったんですよね。
――今、アルバム『レモネード』を聴いて思うことは?
「このアルバムがすごく好き」と言ってくれるファンの人もいるんですけど、本音を言うと、僕としてはあまり聴きたくなかったんですよ。最終的にメンバー間の空気があまりに重くなっちゃったんで、自分の記憶の中からこのアルバムに関するポジティブなイメージを拾い出せなくなっていたんだと思います。でも実際には非常に楽しいことや、その後のFLYING KIDSにプラスになっていくことがいろいろあった。FLYING KIDSに本格的にコンピューターを導入していくきっかけにもなったのも、このレコーディングだったわけですから。今回、改めて聴いて、「どの曲も自分たちのできることをすべて注ぎ込んで、もがきながら表現しようとしている」と感じることができました。いろんなことがあったけど無駄じゃなかった、ちゃんと意味はありましたね。
(今年行った北海道・北見オニオンホールの楽屋に飾ってあったサイン色紙。)
インタビュー : 木村由理江