76.「ファンクって、ワンフレーズなんですよ」
――7枚目のシングル『君とサザンとポートレート』はFLYING KIDSの新境地でした。
肉体的には疲れていましたけど「挑戦していくぞ」という野心に満ち満ちていたんですよ。この曲ができたことでディレクターから与えられた“聴かせる”というテーマをクリアできた気がしたし、これで次のステップへ進めるという手応えも感じました。メンバーも、「(FLYING KIDSは)こういうこともやれるし、やっていくんだ」と感じたと思います。その過程で何かが失われたと感じてもいたかもしれないけど・・。
アルバムは『君とサザンとポートレート』を中心に作ろうという動きにもなりましたね。「他にどんなタイプの曲があるといいかな、それに合う曲も作ろうよ」と。
――シングル『君とサザンとポートレート』のカップリングだった『TWO HEARTBEATS』についても少し聞かせてください。作曲は浜崎さんと伏島さん、編曲はFLYING KIDSとマニピュレーターの迫田至さんです。
『DANCE NUMBER ONE』の時からなんとか完成させようと僕がしつこく粘っていた曲で、迫田さんに手伝ってもらってなんとか形にしました。でも「ロックなのかファンクなのかポップスなのかわからなくて落ち着きが悪い」と言われ、アルバムではなくカップリングに。当時の僕は、そういう曲をよく作ってましたね。
歌詞は、サラリーマン時代、会社帰りにうろうろしていた有楽町周辺のことや、上京して僕自身が感じた孤独や、東京で知り合った人たちの中に感じた“孤独感”がモチーフになっている気がします。“誰かと繋がりたい”という想いなんでしょうね。
――三部作の第3弾『レモネード』の1曲目は『レモネード』です。
制作のスケジュールはぎりぎりでレコーディングはどんどん進んでいくのに、身も心もヘトヘトで歌詞が追いつかない頃でしたから、絞り出すように歌詞を書いていたのが、今聴いてもわかりますね(苦笑)。何を思って書いたのかよく憶えてないですけど、今までのFLYING KIDSにはないポップソングを作ろうと必死に手探りしていたことは確かです。「これで曲ができそうだ」と閃いた言葉はどんどんメモしていたので、その中から一番意外で、「えっ、次、何が始まるの?」って驚いてもらえる言葉は何かという発想で“レモネード”を選んだ気がする。そしてそれをお題に、物語を作るように歌詞を書いたんじゃなかったかな。松任谷由実さんにも影響を受けてましたから、ユーミンの曲が持つポップ感をFLYING KIDS流に展開できないかと、考えていた気がします。自分の心情をまっすぐに歌うのではなく、少年か少女か定かではない架空の主人公の目線で歌詞を展開させようとしているあたりに、それを感じますね。
――この曲に限らず、キャッチーな言葉やフレーズから始まったと思われる楽曲は多いです。
ファンクミュージックという音楽スタイルには、そのやり方が一番よかったんですよ。極端な言い方になりますけど、ファンクってワンフレーズなんです。それをリズムに乗せてグルーヴさせながら歌えれば、それで1曲に仕上がるっていう。そういう、ちょっとキャッチコピー的な感じで作った最初の曲は『我思うゆえに我あり』なんでしょうね。その頃から僕は、コピーライティングに興味があったということです。
(1992年、ロッキングオン・ジャパン用に撮影されたもの。カメラマンは小暮徹さん。)
インタビュー : 木村由理江