73.チャレンジ、チャレンジ、チャレンジ
――『DANCE NUMBER ONE』の5曲目の『TELEPHONE』は6枚目のシングルでもありました。星勝さんのプロデュースで、パーカッションのPeckerさんとサックスの古村敏比古さんが参加しています。
ディレクターの大友さんが「井上陽水さんみたいな曲だから、陽水さんの作曲やアレンジをしている星勝さんにプロデュースをお願いするのはどうかな」と。「やり方を変えよう」という意識が強かったし、星勝さんは憧れのアレンジャーでもあったから「何かすごいことが起きるかも」という期待がありました。星勝さんのアレンジは非常に緻密で「なるほど、こうなるのか」と目を開かされるような気がしたのを憶えています。
でも僕はなんでこの曲を作ったんだっけ? 部屋で黙々と作ってた日々のことは憶えてるんだけど・・。FLYING KIDSの次なる展開の一つとして、日本人にもわかりやすいメロディの曲を作ろう、だったら歌謡曲的なアプローチを取り入れることが突破口になるんじゃないか、と考えたのかな。チャレンジだったんでしょうね。“踊る”というアルバムのコンセプトからは外れるけれど、曲としてはインパクトがあるし、サウンドでグルーヴ感を出してもらってアルバムに収めよう、ということだったんじゃないかな。
――『TELEFHONE』は初の女性目線、女性言葉の歌詞です。
インパクトのあること、新しいことをやらないと世の中に響かない、という想いから提案した気がします。おもしろがってくれる人もいたけど、FLYING KIDSのイメージとはちょっと違うかもしれないから、これもやはりチャレンジだなとは思ってました。でもどうしてこういう歌詞になったのか・・。
モチーフになりそうな女の人をある日、ふと思いついたんでしょうね。“24時間働けますか”というCMが流れていて、OLさんもサラリーマンも“仕事”に対する熱意とプレッシャーの両方を抱えてシャカリキになって生きていましたから、そういう緊張感に満ちた日々から脱出したいという想いを抱えている人もいただろうし、“恋愛”がスイッチになって仕事以外のものに生きがいを感じることもあるんじゃないか、と思ったのかな。実際に恋愛が救いになってしまったら、かなり危険な気もしますけどね。
――FLYING KIDSが“情念”めいたものを歌うのかと驚きました。
阿木燿子さんの『プレイバック part2』(1978年)の歌詞の影響もあったでしょうね。ちょっと戯曲的な歌詞というのかな。それは新しい自分の作詞法や歌作りにつながっていった気もします。感情的な歌詞が刺さって「これは自分の歌だ!」とさらに熱を上げてくれたファンの人もいたし、離れていったファンの人もいた。物議も醸したし、分岐点にもなった曲でしたね。
――でもそこは覚悟して?
「本当にいいのかな」と迷う気持ちは僕の中にあったとは思うんですけど、自信作だった『GOSPEL HOUR』が世の中にまったく評価されませんでしたから、新しいことにチャレンジしてみるしかないだろう、と。メンバーのポテンシャルを十分に活かせてないことに対しては申し訳なさを感じつつ、「それでも前に進んでいくんだ」と僕自身は思ってました。この曲を聴いて「おー、きたね、新しいFLYING KIDS」とスタッフサイドは盛り上がってましたけど、「なんかちょっと違うな」と思い始めたメンバーもいたかもしれない。
(1991年に発行された月刊にいがたのインタビュー記事。)
インタビュー : 木村由理江