57.小泉今日子さんのディレクターだった田村さんの登場

――91年10月発売のシングルとアルバムの制作は、“新しい方々”ツアー終了後の5月以降、イベントや野音のワンマンの合間を縫って行われていたと考えていいですか。

そうですね。ディレクターの大友光悦さんは同時期にアン・ルイスさんのレコーディングがロサンゼルスで入っていたので、大友さん不在の間は大友さんの上司の田村充義さんがディレクターをしてくれることになったんですよ。曲によって担当を分けていたのかな。田村さんは小泉今日子さんのディレクターで、僕らも出演したクノールカップスープのCMソング『見逃してくれよ』も担当してたし、当時の小泉さんのアグレッシヴな企画を仕切って注目も浴びていたから、僕たち的には大歓迎でした。自分たちの持てるものすべてを2枚のアルバムで出し尽くした感があって、この先どうやって新曲を作っていこうかと模索していた頃でしたから、田村さんが何か新しい切り口を提案してくれるんじゃないかと期待もしてました。最初に田村さんから提案されたのはザ・タイガースの『君だけに愛を』のカバーでしたけど、あれは大きかったですね。

ーーどんな経緯だったんですか。

 シングルから作り始めたんですけど、「絶対にヒットさせなきゃいけない」というプレッシャーを自分たちが抱えていたのと、「いい曲ではあるけどシングルとしては弱い」みたいなことを何度か言われて「どうしたものかな」と若干煮詰まっていた時に、「『君だけに愛を』をカバーしてみたら?」と提案されたんですよ。「ヒット曲を連発している田村さんのシングルの作り方を見てみたい」という好奇心もあって、やってみることにしました。オリジナルに忠実なカバーもGS(グループサウンズ)の曲をやるのも初めてでしたから、経験したことのない期待と不安を味わったレコーディングでした。

 2バージョンありますが、最初に作ったのはシングルにもなった“失神バージョン”。朝本浩文さん(1963~2016 )のプロデュースです。ハウスっぽい感じをFLYING KIDSに導入してみたらどうかと考えた田村さんが、メンバーだけでそれを形にするのは難しいだろうからと、朝本さんにヘッドアレンジをお願いしたんですね。だから“失神バージョン”のレコーディングは、僕がDub Master Xさんやギタリストのブラボー小松さんが参加したトラックを聴きながら歌っただけだったはずです。ただ僕の中には「これってFLYING KIDSなの?」という不安感がすごくあったし、メンバーもちょっと首を傾げてましたね。それで“失神バージョン”を大いに参考にしつつ、生の楽器に置き換えたアレンジの別バージョンを、メンバーで作ったんですよ。それが、フラメンコっぽいギターを入れたりして少し汗をかいた雰囲気に仕上がった“激愛バージョン”です。振り返ってみれば、そういう朝本さん達とのセッションから、アマチュア時代とは違う、新しいFLYING KIDSが始まった気がします。きっかけを作ってくれた朝本さんには感謝しています。

(消しゴム版画家のナンシー関さんによるファンクラブ会報誌の表紙。)


インタビュー : 木村由理江