8. 絵と漫画も好きだった少年時代

――浜崎さんは絵を描くのも子どもの頃から得意だったんですよね。

 得意というか、好きでしたね。絵で賞をもらったり、人に褒めてもらうこともなかったわけじゃないけど、自分で自分の絵はいいと思っていたし、絵も漫画も、描くのは本当に好きでした。手塚治虫さんの『鉄腕アトム』の絵を見て“いいなあ、僕も絵を描いて表現したい”という衝動に駆られたのがきっかけでしたね。

――『鉄腕アトム』の漫画もアニメも、リアルタイムで触れた世代じゃないですよね。

 僕が子どもの頃に朝日ソノラマが『鉄腕アトム』を復刻するんですよ(1975年~1976年にかけて全22巻)。それを兄貴が買い揃え、その表紙に僕が魅せられちゃったんですね。手塚治虫さんが新たに描き下ろしたアトムの絵で、めちゃくちゃかわいくてすてきだった。でも子どもってそういうのをちゃんととっておけないじゃないですか。いつの間にか2巻分の表紙がなくなっていて・・。そのことがものすごく悲しくてね。それで朝日ソノラマの編集部に「表紙だけ売ってほしい」と手紙を書いたら、「これからも応援してください」という手紙を添えて2巻分の表紙を送ってくれた。それにはめちゃくちゃ感動しました。今、家にある『鉄腕アトム』はその表紙です。それくらい手塚治虫さんの絵が好きで、よく真似て自分でも描いてました。

( 朝日ソノラマの社員の方が送ってれた鉄腕アトム )

――水島新司さんも好きだったと、どこかで話しています。

 水島新司さんの『ドカベン』や『野球狂の詩』をよく読んでいたし、真似もしていましたね。水島新司さんの絵って、なんかタッチがいいんですよ。目や鼻の描き方が他の漫画家さんとはまったく違っていて、でもそれがキャラクターをより魅力的にしていたりする。そういうのがすごいなーと思ってましたね。

――ご両親は漫画を読むことには寛容だったんですか。

 何故か漫画に対する理解はすごくありましたね。たまにお土産みたいに漫画を買ってきてくれることもあって、そうするとあんまり興味のない作品でも「漫画だ! 漫画だ!」と喜んで読んでました。お小遣いを使い果たしても、親に「本屋に行くんだけど」と言うと「わかった」とお金を渡してくれてたりしてね。前に、兄弟の中で僕だけオルガン教室に通わせてもらわなかったという話をしましたけど、小学校4年生から5年生まで、僕だけ絵画教室に通わせてもらってました。車でないと通えない場所にある教室で、毎週だったか隔週だったか忘れましたけど、日曜日に父親が車で送り迎えをしてくれた。高校生になって美術の学校に進学しようという話になった時も、誰かから紹介された絵描きの先生のところに父親が僕を連れて行ってくれたりしたし。結局、そこはすぐに辞めちゃって、加藤が通ってた“あんでるせん絵画教室”に行くことになるんですけどね。

――浜崎さんが絵の道に進むことを、積極的に応援してくれていたんですね。

 そうだったと思います。美術の道に進もうとしていた母親の兄が大学生の時に死んでしまったことも、大きかったみたいですよ。母親から以前、そう聞いたことがあります。


インタビュー : 木村由理江