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ワカリアエナクテモ。

 04/01/2005
KYONKYON → ハマザキ

浜崎貴司様

お久しぶり。目黒川の桜が満開です。私が一番好きな桜スポットで、私がこの界隈に住むことにした理由の一つはこの桜だったのですが、今年はなんだか盛り上がり過ぎて少し閉口気味。目黒川沿いの発展はここのところ目覚ましく、どんどんオシャレなお店が増えています。若者が雑誌を片手に目当てのお店を探しているのを平日でもよく見かけます。いつの間にかオシャレな街になってしまったのです。お花見&ショッピング。一石二鳥をねらった若者でごった返しています。人並みを避けて駅まで歩くのも大変なくらい。まぁ、賑やかでいいんだけどね。人混みが苦手な私は早朝の散歩でお花見を楽しみました。
この間、雑誌を読んでいたら、角田光代さんと江國香織さんの対談が載っていました。2人とも好きな作家なので興味深く読んだのだけれど、その中で特に印象に残ったのは、自分の感情のベースになっているのは喜怒哀楽の中でいうと何か?というテーマでした。角田さんは「怒り」で、江國さんは喜怒哀楽ではないけれど「淋しさ」だそうです。お2人の作品を読んでいるとなんとなく納得出来る答えでした。で、私の場合なんだろう?と考えてみました。「恥ずかしさ」かもしれない。自意識過剰なのかもしれないけれど、私の心はいつもいつも、子供の頃から変わりなく「恥ずかしさ」と戦っているような気がします。その感情を克服したいがために、こんな風にある意味対局な仕事をしているのかもしれない。演技するのも唄うのも、やっぱりいつも恥ずかしい。仕事だけじゃなく、恋をするのも、友達を作るのも、レストランで食事するのも、バッチリ決まったオシャレするのもなんだか恥ずかしい。でも、その感情を振り切って乗り超えた時に快感があるというか、生きてる実感みたいなのを感じるのかも。最終的には恥ずかしがってること自体が恥ずかしくなって、突然開き直った瞬間に誰よりも大胆な行動をとっているみたいな感じなのかも。そんな気がしました。次点は「淋しさ」かな。私から見たハマザキタカシは感情がとっても安定している人なのだけど、外から見えない心の中身はどんな感情がベースになっていますか?
 小泉今日子

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